東京新聞 服部文祥「百年前の山を旅する」

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熱はなかなかスッキリとは下がらない。カロナールが切れ良く効くということは単純にこれは風邪であるとして今日は1日本格的に布団で寝ることにする。小一時間ほど熟睡して起き上がり本棚をがさがさ。あった。平凡社ライブラリー 辻村伊助「ハイランド」。

辻村伊助は1886年生まれ。1911年上高地(当時は神河内といった)登山、日本山岳会創設期の会員であった。大正12年関東大震災にて死去。「ハイランド」は「スウィス日記」とともに遺稿として出版された。

「ハイランド」には文字通りスコットランドを旅した辻村の日記が収録されているが、主な内容は飛騨山脈と神河内の記録である。

服部文祥の本に上条嘉門次という人が出てくる。わたしはこの嘉門次(かもんじ)を知っていた。嘉門次はそのむかしイギリス人のウェストンとかいう登山家を案内した地元のおじさんだ。65歳という年齢で猿のように軽々と(いや猫だったかな)岩を登ったとある。

明け方右横腹の鈍痛で目覚めた。カロナールを2錠。効いてくるまでには時間が掛かる。わたしはぼんやり嘉門次のことを考えていた。嘉門次。何故だ。何故わたしは嘉門次なる山猿的おじさんがこんなにも気になるのか。

辻村伊助の日記を本棚で見つけて謎は解けた。p264には「嘉門治(正しくは嘉門次だが原文のまま)を憶う」と題されたページがあるではないか。

もしかして嘉門次は有名人なのかとwikiってみる。あった。嘉門次のwikiは何故か嬉しい。みんな読んでるか。嘉門次はすごいんだぞ。

服部文祥は嘉門次への憧憬を随所に散りばめていた。辻村伊助もまた嘉門治が俺は大好きなんだ、嘉門治に逢いたくて山へ行くんだとまである。

しかしながら嘉門次は一介の田舎のおじさんである。

「できました、できました」嘉門次がウェストンと何処かの山のてっぺんで嬉しくてこう言ったらしい。

服部は「できました」ってどういう意味なんだろう、と山頂で自分も「できました」と呟いてみたとあるがそんなくだりがなかなか良い。

また熱が上がってきたようなので今日はこの辺で。なんだか嘉門次のことばかり書いたけれどこの次は服部文祥の山歩きのことをもう少し取り上げたいと思う。