角川文庫 松本清張「徳川家康」

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youtubeキーシンを聴いている。正直キーシンをちゃんと聴くのは初めてかもしれない。キーシンは確かまだ10代の男の子だったはずだ。それなのに何という力強い音。堂々たる演奏。調子がすぐれないわたしはまたしても涙ぐむ。

ピアノを弾く生活が始まりピアニストたちへの興味が高まるようになった。以前とは違う。若い頃のわたしはその発する音質で拒否反応を起こしていることが多かった。思い入れたっぷりのベタベタした弾き方がうんざりしたし、速弾きコンクール宜しく超絶技巧を披露されるのに苛ついたりもした。

熱が下がると同時に脳内が混乱してわたしはまた主人に迷惑を掛けたようだ。何日か分の記憶が抜けている。その日わたしは主人と大きな都市の図書館へ行ったようである。

会社はどうしたの?わたしが訊ねると主人は言った。休んだよ、君がこう言ったんだよ”貴方が会社へ行ったらすぐに帰って来てね。そうでなければわたしはもう間も無く自殺するかもしれない”ってさ。

友人からメール。調子はどう?どうって?わたしは風邪は既に治りかけていることなどをメールで返した。すぐに電話があり友人は驚くべきことを言った。数日前わたしは頭痛を訴えた、そして整形外科へ連れて行ってくれと頼んだらしい。会計時には金が無く友人に五千円を借りたという。

そのお金は返した?わたしが訊ねると返したよ、と友人は笑った。友人によればわたしは酷く頭が痛いと泣いていたが整形の主治医は今回のトリガー部分には多くの神経が集中しているためにブロック注射は出来ないと言った。そして新薬の頭痛薬を処方してくれたという。

覚えてないんだね、友人は優しい声で言う。わたしは黙っている。電話口で涙が溢れて何も言えなかった。友人は挨拶をして通話を切った。

今日が19日ということは18日の記事は昨日アップしたことになる。記事を読む。おいおい、まてよ、何を書いているんだ〜。誰だこれを書いたのは。ではこのわたしはいったい誰なのか。わたしはいったいいつも何処へ行ってしまうのたろうか。

今日は土曜日。6歳の卒園式だった。始まる前から泣いているわたしに長女が優しい。卒園児母親を代表して答辞を読んだのはあろうことか長女であった。小さな私設幼稚園とはいえ式場に不釣り合いなオードリーヘプバーンみたいなイケイケのモノトーンのワンピースにエナメルのリボンパンプス姿の長女を見てまた泣く。そうだよ、この娘は昔からやんちゃな娘だった。

アマゾンから薄い文庫本が届いた。松本清張徳川家康」だ。松本清張はいい。文章が好き。緩急があり、時に優しく時には斬る。松本清張を手に取る。ん?もう読んだようだ。ひょっとして、と図書館から借りている本を丹念に調べるとあった。1969年の古い文庫本だった。

もう読んだのか。それでアマゾンでワンクリックしたのかな。松本清張徳川家康」を図書館で検索したのはいつだろうか。記録を見る。何だか記録が大変込み入っていて読み辛い。わたしは新しい言語を学習し始めると覚えたての単語を使いたいが為にメモは外国語の嵐となるのだ。季節、夕ご飯のメニュー、数字、曜日。別に自慢ってわけじゃない。これも病気のせいだ。メモはドイツ語でてんやわんや、わたしはどっと疲れを感じてノートを閉じる。

キーシンは一曲目はグリーグピアノソナタだったが今はショパンソナタを弾いている。凄いなあ。ホント泣けてくる。死にたい死にたいと言ってばかり、本当情けない。わたしは心の中でyoutubeキーシンに謝った。

小説も更新されている。死んではならない。ジョージピーターズの声。解ってもらおうとかじゃないよ、パトリックも言う。

不正はあちこちにありふれている。正論には飽きている。

君の記録だよ。君と君とそれから君。

僕は?

フライデーが何かをむしゃむしゃ食べながら言った。