多重人格NOTE その18 身体症状プロフィール①頭痛

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多重人格であることと、気分障害等精神科領域の症状以外の身体的症状とを論じることには益があるだろうか。

あるとすればまず第一に自分はDIDだからと身体的不調の全てを精神科領域が原因だと一括りしてしまうと不適切な治療法にお金を多く使ってしまったり、さっぱり快復せず酷い苦痛を長く耐え忍ぶ羽目になる。

医学は進歩した。それでも原因不明で治療法のない疾患はなくなることはない。だからDIDでなくても病気を巡るなんやかんやにはこれだという正解を見出すことが難しい時代である。

作品社「多重人格者の心の内側の世界」(バリーMコーエン他)p67には”痛み”という項目がある。のべ38人のDID患者が痛みにまつわる散文を寄せている(日本人は1人もいないけど)。

正直に率直に様々な言葉が並ぶ。DID患者さんが読めば当たり前とことだが少し考えればわかる事実のひとつが”痛みイコール絶望感”という不思議だ。

頭が痛いというただそれだけのことなのに死にたいくらいに心が辛い。死ななければこの苦痛からは逃れられないという錯覚に陥るし、わたしは頭痛の度に涙を流してしまう。痛いからではなく悲しいからなのだ。痛みが感情を支配するのだ。

わたしの友人は現在脳腫瘍の治療中で顔の裏側辺りに大きな腫瘍があり、定期的に放射線を当てて腫瘍の成長を遅らせている。彼はDIDではない。頭痛は時折あるようだが彼の場合は痛みイコール絶望感ではなく、脳腫瘍イコール絶望感なのだ。それは脳腫瘍が死に至る病いだからだ。

わたしは彼に「自分が死ぬことを考えるか」と尋ねたことがあるが「考え過ぎて飽きた」というのが彼の答えであった。彼はわたしと同い年。独身である。ガンマナイフの日以外は普通の暮らしをしている。日に三度食事をし、TVを観て笑い、仕事もしている。彼には過剰な悲しみも自己憐憫もない(少なくともわたしには見せない)。

話をDIDに戻そう。頭痛と言っても種類がある。偏頭痛や群発性頭痛、三叉神経痛や後頭神経痛。内科等で「どんな風に痛みますか」「どんなタイミングで痛みますか」という質問をよく受ける。頭痛は類別される。頭痛に効くという新薬は種類に応じて開発されている。

わたしの整形の主治医は若い頃は大学病院の手術室で勤務していた人だ。彼は患者にとても優しい。整形なので患者はお年寄りが多く「先生なんでこんな痛いんやろか?」と尋ねるお年寄りに彼は「老化なんですわ、年を取るとみんなこうなってしまうんですわ」と優しく優しく説明しているのが廊下まで聞こえてくる。(彼は声が大きいのである。お年寄りには難聴の人が多いからである)。

わたしはその時35歳だったが背中の痛みを彼に「老化」だと言われて噛み付いたことがあった。彼はわたしの言い分(まとめると”わたしはまだ若いのでは?”)をすっかり聞いてくれて、ゆっくりとこう言った。

長く続く痛みはなんとかせないかん。きっかけがなんでも原因がなんでも僕がここで出来ることはみんなするつもりやから。僕は今から貴女が感じている痛みを取りますよ。ことあと薬が切れてまた痛みが来るとしても『少しでも痛みの無い時間を作ること』が医者の仕事や。

そう言われてわたしは気持ちが落ち着いたのを覚えている。主治医が一人一人の患者に個別に生じている痛みへの感覚にまるで救急医療並みの感情移入をしてくれること、また痛くなるけれど、という厳しい現実を淡々と説明することで修羅場をいわば共有してくれること。

彼はもちろんわたしがDIDであることを知っているが専門外やから、とメンタル的な話題は避けることにしているみたいだ。話の流れでわたしからそんな話題を振るなら「精神科で話してくれよ」と面倒臭いという顔をされる。

DIDはおそらく一生涯頭痛と付き合わねばならないだろう。ひとたび頭痛が始まると人格がスイッチする確率が高くなる。何をしていても痛みは続く。

痛い時はここへ来たらいい。痛みにやられっ放しではないのだ。対処して闘っているのだ。そんな認識が大事だと整形の主治医は言う。コントロールを失わない。諦めてはいないのだと。

彼は注射がとても上手で脊椎のブロック注射など「チクっとしますよ」と言われて構えているといつの間にか終わっていたりする。

いつもどこか痛くて泣いたりしてるのでそんなことを言って主治医を褒めたり、なんやかんやお礼を言ったりしている余裕がないが、病院ってどこも痛くない時には用のない場所だからそれは仕方がない。