誠文堂新光社 森山光司「メキシコ料理大全」

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これは1年前の本だから新しい本だ。最近大きな街の大きな本屋にちょいちょい行く。1年前の本は本屋ではもう昔の本の扱いだ。本屋の本棚は限られていて、何を返品して何を残すかがとても難しいのだ。

わたしは数年前生まれて初めて沖縄へ行った。初沖縄は1月で季節は冬であった。沖縄にも冬はある。沖縄の1月は2月よりはまだ暖かいがいちおう冬である。そしてウェットスーツで生まれて初めてスノーケリングをしたのはこの時だった。

1月の海は夏の海よりも美しいと言われている。水温が低いのでプランクトンが少なく海中を遠くまで見渡せる。詳しい原理は忘れたがその水は青いのだ。明度も彩度も高い、とても美しい海の色を覚えている。

その年はなんやかんや理由を付けて3ヶ月おきに3回沖縄へ行った。それまで最長飛行機経験は新千歳までの1時間くらいで、それくらいはなんとか持ち堪えていたが那覇までのフライトはそれより少し長くて全く無理だったのを覚えている。それでも沖縄へはいつも行きたいからわたしはよほど沖縄が好きなのだろう。

3回の旅行は3回とも同行者は異なっていたが、わたしはいつも仲良しの沖縄の友人の軽自動車に乗せて貰ってはいつも同じ店へ同じものを食べに行った。普段滅多に外食をしないわたしはその年約一年分の外食を沖縄で食べ溜めした。

わたしが生まれて初めてメキシカンを食べたのもこの時だった。沖縄へ着くと北谷にあるメキシカンのレストランにまず行く。ファミレス風のこのお店は外国人の家族連れ客で賑わっている。

わたしがエンチラーダスを注文すると友人はケサディーヤスを注文したものだ。トルティーヤを折ったり丸めたり、それを煮たり焼いたり。結局みんなこの料理たちの元はトルティーヤなのか。わたしは緩い衝撃を受けたものだ。そしてわたしがその時一番美味しいと思ったのは裂いて解した白い鶏肉だったかもしれない。

皿の上の裂いて解してある鶏肉の山に、何故だろう、わたしにはつよい郷愁がある。子ども時代、宴会の裏方作業を手伝わされた。そこでよく似たものを見た。祖母が鶏を絞めて血を抜いて、毛を焼いてそして大釜で茹でていた。

茹で上がった鶏を慣れた手つきで祖母が解体した。わたしは祖母から渡された鶏の首や胸の骨などから慎重に細かい肉を外してゆく。ある時祖母がわたしの口に鶏肉を放り込んだ。それはまだ温かい、柔らかくて味のしない鶏肉だった。

乾燥したトルティーヤのチップスをサルサで煮たものをチラキーレスという。どうやらこれは前日の残りで作る朝食らしい。エンチラーダスは同じくチリソースでトルティーヤを加熱したものだ。赤い丸い筒をナイフで割ると中には裂いた鶏肉が入っている。

皿の何処かにニンニクもあるに違いない。唐辛子とニンニク、そして鶏肉だ。懐かしくないわけがないよね。

もう1年以上沖縄へ行っていないが沖縄で食べたメキシカンが忘れられない。インスタでメキシカンの写真を毎日見ている。ノパルって何?スペイン語で卵はウエボス。タグを丁寧に調べる。図書館でメキシコ料理の本をパラパラ。なんか違う。後でわかったのだがそれはテクスメクスだったようだ。少しアレンジがされていたようだ。

そののちわたしはハラペーニョの大きな瓶詰めを買った。アボガドやライムやナチュラルチーズにトマト缶。オリーブ油だとイタリアンぽいのでグレープシード油やひまわり油を使う。

サワークリームと呼んでいいかわからない。酵母と乳酸菌でクリームを凝固させるからこれはマスカルポーネチーズなのかもしれない。この類いの酸味クリームもメキシカンには欠かせない。

この本は面白い本だ。

メキシコの美しい自然。不思議な光景は竜舌蘭の畑。芋虫入りのお酒とな。

冒頭の写真は沖縄の名店キングタコスのタコライスチーズ野菜です。ちなみにこれは普通盛り。山盛りではみ出す感じがキングタコスクオリティ。

メニューのドル表示を印象深く覚えている。