わたしは今月もまた月半ばに病院に電話をしてヘルプミー、この電話をあたしの先生に繋いでよ、とやったようだ。診察でそれを知る。わたしは何も覚えていない。今月の記憶の虫喰いは酷い。
何が原因か、どうすればいいか、そういうことを今日は特に話し合わずに診察が終わった。それとも診察中に記憶の虫喰いが生じたのか、あっという間にお帰りの時間が来た感じがする。
すごく哀しかった。こういう気持ちは周期的にやってくる。頭を治したい、病人を辞めたいと思っているのだ。健全さへの憧れが抑えきれないほど湧いてきて、それが果たせない哀しみ。脈絡のない絶望をいだいてしまっている。
熊への憧れは健全さへの憧れである。まともな人間になれないわたしは熊にも劣る。わたしには居場所がない。わたしは檻に入れられるのかもしれない、そんな危惧に苛まれる。記憶が消えているということを突きつけられるとはそんな感じなのだ。
それで毎日何を考えているの?主治医が尋ねる。さあわかんない。診察日のわたしは超ニュートラルとなり、すべての関心事を遠く感じているようだ。辞めたいな。来週くらい人生を辞めたいって思ってる。疲れた。
主治医はうすら笑う。俺が何年オマエの主治医やってると思ってんだ。だよねー。こういう退屈が生きてるってことなんだろうな。平穏で平和な日常に慣れるということは実は難しいことなのだ。
来月も来る?うん。クスリ飲む?飲むよ。
ねぇわたしホントにまた電話掛けたの?掛けてきたよ。マジか。ピンチの時には又コールして。迷惑じゃない?迷惑じゃないよ。
そりゃそうだ。会計で電話での診察代金をちゃんと請求された。病院というところはそれが仕事なのだ。
ひょっとしてあたしは迷惑を掛けたかったのか?そうなのか?だとすれば病気は良くなりかけているのだろう。これまで親兄弟にも甘えて来なかった人格が現れて来たようだ。
脳内のFBIが見当外れな捜査で彼等を撃たないように、適切な情報提供をすれば起訴はないという取り引きを忘れずにな。それは継続だ。
コストコで巨大なパンダのぬいぐるみを売っていた。
怪しい、これはFBIの仕込みかもしれない。
わたしは目を合わせずにパンダの横を通り過ぎた。