池田書店 渡辺麻紀「シャルキュトリー フランスのおそうざい」

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李承雨を読む。読みながら何年か前に主人の父が癌になった時のこと、その時告知が難しかったことなどをふと思った。ステージ4であることや抗ガン剤をせねばならないことなどは話さなくてもいいと義父の主治医がわたしたちに説明する。

主治医は義父の場合は家族からの告知がいいでしょうと言った。おそらくすんなりとは受け止められぬ尋常でないストレスだろうから、何日か時間を掛け、ぴったりとそばに寄り添って説明をしてあげてくださいと言った。

主治医の見立て通り義父は事実関係を知ったのちもそれを自分に起きた現実として受け止めるのに時間と過程を要した。それは家族全員が精神を消耗させる厳しい期間であったがわたしはヒトの心の強さや弱さ、誰しも強いばかりでは居られない時があることなどをしみじみ味わい知った。

小説「生の裏面」の事実の現れ方の必然。架空の作家の架空の作品からの引用文。城を落とす前には外堀を埋める。目的地へ着くときにそれと気取られないように四方から少しずつ近づいてゆくのだ。

わたしは優しさに慣れていない。近づくものたちを容赦なく罠に陥る。現実を見極めている余裕はなく人影を見たなら速攻ビームで撃つべしの全く乱暴な生き方をしてきた。

李承雨を読む。わたしはすでにわたしの外堀を粗方埋めて来たのかもしれない。李承雨はゆっくりと歩いて静かにわたしに近づいてきた。それでいい。わたしは架空の主人公に話し掛けるのだ。アンタたいへんやったなあ。

昨日は横山光輝「漫画徳川家康」を時々挟む。於大辛かったな。(於大というのは家康のお母さんだ)。

今朝は日の出前に畑。ニンニクの芽をポキポキと折る。そのまま銭湯で朝風呂。サウナ室でテレビを見た。

ダイゴと北川景子の結婚披露宴のニュース。こういうの職場結婚だよな、などと観ているとダイゴさんがスピーチで熊本の地震に触れ、披露宴などと浮かれていては不謹慎と考え、披露宴を辞めようと考えていたととつとつと語った。わたしも少ししんみりした。

その時後ろのおばちゃんが言った。

やったらええ。披露宴やったらええ。こんな時代には明るい話題はあった方がええんや。

朝風呂は空いていてサウナ室にはわたしたち以外に人はおらずわたしは何か答えなければならないような圧力と気まずさを感じてそそくさとサウナ室を出た。

丸裸で見知らぬヒトと会話する。銭湯はまだまだハードルがたかいなあ。

マックで朝食後帰宅。渡辺麻紀のフランス料理の本をぱらぱら。渡辺麻紀は地味な料理家である。古典を外さない。なるべくアレンジをしないでこれを家庭の台所で?というものを作っては本にする。

この本は'14年に出たがなかなか良いのだ。料理は皆四角くて白い安いプラコンテナに入っている。要するに総菜屋のていである。

サルシッチャの次はパテドカンパーニュを作りたい。ダッチオーブンで行く。寒天用の型でやる?

友人たちを呼んで異国のものを作っては食べさせようではないか。銭湯で軽口を交わせるようになるまでの道のりはまだ遠いけれど。