小学館 学習まんが人物館「マルガレーテ・シュタイフ〜世界ではじめてテディベアをつくった起業家」

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マルガレーテ・シュタイフは1847年南ドイツ、バイエルン州のギーンゲンで生まれた。この本は子ども向けの漫画本であるが、p142で61歳のマルガレーテが現役引退して日記を書き始める頁はすごく泣けた。

1歳半で両脚と右手が麻痺となり9歳で単身シュトゥットガルト近郊の病院で全身麻酔の外科手術を2度経験している。彼女は富裕層ではなかった。手術には多額の費用がかかった。

彼女の主治医ウェルナーの創始した障害のある子どものための寄宿学校アウグスト・ヘルマン・ウェルナー・シューレの写真は東京新聞刊 ウエルケ・ハルベ・バウアー著「マルガレーテ・シュタイフ」で見ることが出来る。schule(シューレ)とはドイツ語で学校のことだ。

わたしは子ども時代障害者の自伝を多く読んだ。実在する偉人伝も読んだが今もどちらかといえば特に何か成し遂げたわけではないごく普通の障害者の手記を好んで読む。偉人伝にはたいてい美談や武勇伝が盛り込まれている。

あしながおじさん」の主人公ジョディーは障害者でもなく架空の女性だが、乳児院で育った孤児ジョディーが富裕層で慈善家の「あしながおじさん」への手紙の中で世の慈善家たちの偽善への嫌悪を奔放に語るのが小気味いい。わたしは当時9歳で慈善家も富裕層も乳児院も何のことやらよくわからなかったけれど、それでも手紙を受け取る側の、それなりの社会的な地位を確立した男性の狼狽えようが愉快に感じられたりしたものだ。

大人になってとある盲ろう者の女性の手記を読んだ時にいわゆる寄宿学校の類いがろくな場所でないと書かれたのを読み少し衝撃を受けた。目も見えず耳も聞こえない彼女が親たちから厄介者とされ寄宿学校では赤の他人から厳しい躾を受けるのだ。

しかしながら寄宿学校は器でしかない。ヘレンケラーですら幼い頃は猛獣のようであり、彼女の教師サリバンはPTSDを抱えながら彼女に向き合うのが現実だった。強くなるしか道はない。誰かの心に触れて少しでも熱い何かを感じたなら、それを大切に心に蓄える。それは健常者として生きていようが障害者であろうが変わらない。

マルガレーテ・シュタイフの本は小学館の漫画本を含めて3冊読んだ。彼女にしか持ち得ない幼少期の景色などの描写からおそらくは彼女が書いた日記を他人が起こして書いた自伝であろう。

幼い彼女は狂おしいまでの体の苦痛と孤独の日々にありながら母親に対して心を開けなかった。朝から晩まで家事に加えて家計を助けるための編み物と洋裁の手仕事に追われていた母親は一貫して厳格なドイツ女性であったようだ。彼女は遠くから淋しく母親を見つめている。

しかしながら後年彼女は工場のぬいぐるみの仕上がりの良し悪しに几帳面にこだわった。子どもが乱暴に遊んでも解けない裁縫でなければならない。甥のリヒャルトが考案したテディベア第1号55PBに対してその重いことや大きいことなどクレームをつけている。

起業家として成功した彼女は戦禍で夫を失った友人や障害を持つ女性たちを積極的に雇用したとあるが、仕事に於いては妥協しなかった。そのマイスター気質は間違いなく母親譲りであったとは言えないか。

テディベアを調べていたのになんだかだいぶ横道に逸れているが、彼女の日記を是非とも読みたい。ドイツ語である。誰か訳してください。どうかひとつ。どーかひとつ。

「わたしはフェルトでたくさんの動物たちを作りました。わたしには誰よりも考える時間が沢山有ったのです」彼女は書いている。彼女はそのとき既に60代になっていた。

わたしはそれを読んで突然涙が溢れた。わたしが感じたのは悲しみでもないし、もちろん間違っても憐れみというものではない。わたしは彼女が味わった人生のすべての景色におめでとうございますを言いたいような気持ちになったのだ。

そして彼女を支えた家族と隣人たちにも全く同じ言葉を掛けたいと思ったのだ。