映画「マイノリティリポート」を観ました

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数日前から神戸滞在。引越しを終えて新幹線で家へと帰る主人を新神戸駅で見送った日を除いて電車に乗ったりはまったくしていない。歩いてすぐの場所にあるスーパーの行き帰りに猫を見たりして過ごす。

今日は昼からDVD鑑賞。トム・クルーズの「マイノリティリポート」を観た。プリコグはドイツの収容所のユダヤ人に、オルガンでバッハを弾いている刑務所の管理人さんはグレングールドに似ていた。

映画でトム・クルーズは殺意を抱いただけで逮捕監禁され人間失格とされていた。まあそうだろう。何度も観ている映画だが今日はふとそんなことを思う。殺意を抱くのは発作的であろうと必然であると説明付きであろうとそれは人間が人間性を捨てることに等しい。

トム・クルーズが理性を踏ん張れたのは何故だろう。kenさんのブログでPTSDから解放されたくて安楽死を選ぶ女性の実話を読んだけれどわたしは安楽死も殺人の一種なのではないかと思った。終末期医療でもなければ死を選ぶ理性などというものは存在しないと思った。

わたしが中学生の時だがクラスメイトが乗り鉄で、わたしはちょっと仲良くしていた。乗り鉄君はその年の夏休み一人旅のお土産だと言ってわたしに切符をくれた。

それはわたしの苗字が印刷された切符だった。その固い紙の切符には改札ハサミが入っていなかった。彼は今回は苗字だったけれどいつか下の名前の方の駅へ行く時には必ず買ってくるよ、と言った。

主人を新神戸駅で送ってから三女とふたり三宮まで移動する途中、幾つもの私鉄の交差する構内でわたしはわたしの名前を見つけた。ああここだったのか、彼はあの夏にはここまでひとりで、とふと考えた。

嬉しくなって三女にその話をしたら是非ともその駅でその駅名の切符をGETしようよ、と言う。そうだね、いつかね。

その苗字は父方の祖父が考えたらしい。しかし中学時代年度初めに担任教員に提出する個人カードにはその苗字ではなく本籍地と共に届けを出した朝鮮の苗字が書かれてあった。

わたしは叔父のひとりに祖父が何故この日本風の通名を選んだのかを尋ねたことがあった。従兄弟たちや友人たちは本名を含んだ通名を名乗っていた。わたしは苗字も下の名も朝鮮語では読みづらい、日本でしか通用しない名前である。

わたしは祖父母等が日本という国を好ましく感じているのを感じて育った。2人が越境したその時期2人は正真正銘日本人であった。国籍が記憶のように蓄積されるものならば良かったのにと思う。2人は朝鮮人であり日本人にもなった。‥‥とこんな話はめったな場所では出来ない。それは仕方ない。

私鉄のホームで鵯越駅という駅名を見た。あらまあひよどり越えですとー。ひゃー対馬馬(つしまうま)ではないか。いやあれは言い伝えだからさ。ひよどり越えって何、という三女にざっくり説明をする。ママ行こうよ、ひよどり越え現場、行かなきゃ。

わたしはふとこの場所にあのクラスメイトの乗り鉄君が居てくれたらなどと考えた。ええと、名前なんだっけ。声や雰囲気は覚えているのに名前が出てこない。

まあ名前なんてそんなものなのかな。彼のくれた切符の苗字。今は亡き祖父が大好きだったという日本風の苗字。結婚してからは名乗ることのなくなったあの苗字。