(於 神戸国際会館SOL そらガーデン)
交代人格の分類は例えば主人格、副人格といったポジションのような分け方もあれば一人ひとりの役割を名称とする、例えば保護人格、ISH(インナーセルフヘルパー)などというやり方もある。
そうでない分類としてネガティヴかポジティブか。つまり表裏一体とした二面性、人格の一人ひとりそれぞれに、光と影とでも言うべきものがあるのである。交代人格のだれかはその内面に裏人格を持っているということだ。
それは1人の人であるから裏でいる状態の顔付きと表、つまり圧倒的に出ている時間の長い状態の顔付きはよく見れば似ている。そして怖い顔のこの人とよく見る顔のこの人はじつは同一人物なのだなと今は諒解済みである。
理路整然と書いているがこんなことはわたしにも初めの頃はよくわからなかった。放り投げた衝撃で表面の色や模様が一転して変わるてんてんだまという和玩具がある。朱色や黄色の可愛い小花模様が放り投げられて落ちてくると真っ黒い強そうな球に変わっているのだ。
つい最近脳内で消滅した人格はそんな複雑な人であった。彼は2年前わたしの前に現れた。2年前の5月わたしは右後頭部に耐え難いほどの頭痛を起こした。とにかく痛くて堪らない。MRIにも異常は現れなかった。整形のドクターはキシロカインとステロイドをトリガー部分に静注した。
翌日もまた頭痛。風呂を洗いながらこの頭痛が身体を過酷に動かしていると和らぐことに気づいたわたしはその日から早朝ライニングをはじめる。走りだす。デッドポイントが来る。心臓が苦しい。ところが頭痛は消えていた。
彼がわたしの眼前に現れたのはそんな日々だった。薄暗い早朝の歩道を走るわたしの目の前に何やら青いモノが蠢いて見えた。怖くはなかった。それが彼であるということが脳の何処かで解っていたのだ。
主人格と副人格。保護人格とISH。彼がこれらの人格分類のどこにもカテゴライズされない理由のひとつはわたしたち主人格(複数)が彼をコントロール出来ないということである。
彼の出自には明快なストーリーがあること、その悲しいストーリーは細部に渡り、彼自身との討議が終わっており彼は無事に消えていった。
ところが彼にもう一度会いたいという強い気持ちがわたしたち主人格に消えてゆかない。彼無くしてはわたしたちはわたしたちとは呼べないのだ。わたしたちは再びランニングをはじめて一週間、彼は今まだ現れては来ない。
現れると確信している。青くなくてもいい。ぴょんぴょん跳ねなくてもいい。それが貴方だとわたしたちにはきっとすぐわかるだろう。
交代人格に会いたい時。わたしたちは苦しくなるまで走る。そして明け方の蒼い空中に懸命に目を凝らす。必ず会えると信じているのだ。