映画「柘榴坂の仇討」を観ました

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塩蔵した鳥もも肉を蒸して冷まして薄切りにした。鳥もも肉1キロに塩100gなので大分塩辛い。フレッシュバジルとベビーキャロットのサラダに混ぜ込みグレープシードオイルを掛けて食べた。

友人からトマトゼリーなるものをもらう。いきつけのカフェではプチトマトのマリネがランチに出るらしい。明日行くもんね。わたしがトマトを美味しいと思った事があまりなかったのは両親の喫茶店のサラダの脇にあるトマトを思い出すからだ。

トマトは赤くて可愛いし甘くて美味しい。母はトマトが大好物だった。巷で流行る随分前からトマトの冷製パスタを食べていた。母はトマトとスイカにはかならず白砂糖を掛ける。甘いものは甘く、というのが母のやり方だった。

「柘榴坂の仇討」を観るように勧められたのは彦根城のお堀で手漕ぎ船風のボートに乗った時だった。わたしは今もあまり城だの殿様だのには興味はないがその日、彦根城の脇で井伊直弼銅像を見た。安政の大獄で大勢の才能ある若者たちを死刑にした人だ。

井伊直弼はどれほど悪い人なのか、そんなことを思いながら博物館を資料を見て歩いたあと、お堀でボートに乗った。ボランティアガイドのおじさんがボートの舵を取っていた。わたしはついぽつりと井伊直弼はどれほど悪い人なのか、と曖昧な言葉を投げかけた。

おじさんは苦笑いしながらどうなんでしゃうね、と返した。井伊直弼大老だから今で言う最高裁の裁判官である。何か窮地に追い込まれ、切羽詰まって高ぶる感情で権威を乱用したとはちょっと考えにくい。それでもきっと骨の髄まで保身であり、安定が何より好きだったろう。とわたしが言うとおじさんは遠い目をした。

そういう緩いガイドな訳ね。まあわからないと言うのが順当だ。そもそも城など有るから揉めるのだ。船がゆっくりとお堀を巡るうち何やら醒めたような気持ちになった。船から降りわたしはその日天守閣には登らずに彦根城を後にした。

「柘榴坂の仇討」を観ましたか。観ません。そうですか。おじさんとの会話はそれだけだったがこの映画のことが気になっていた。中井貴一だし、武士だし。

率直なところ武士道が、映像を通して、中井貴一をもってして著しく美化していることは間違いない事実なのだが武士道に美化され得る要素が無きにしも非なのでそこは仕方ない感じもある。こぶしを握りしめ愚直に不器用を通す中井貴一を全く無視する訳にもいかないのだ。

それにしても歴史上の人物の性格が如何の斯うのと評価する気ももとよりない。

今日はテディベア第一号と言われている55PBを作ったリヒャルト・シュタイフについてなんやかんや書いた。6月に入って、ひとりふらふらと鳴門から徳島へと彷徨いながら考えが固まった。帰ったら始めようと決めた。わたしはリヒャルト・シュタイフA・A・ミルン、徳川義親の3人の論文を書くことにした。

いや、だから3人の人格がどうのと評価をする気はさらさらない。だったら最初からわたしには裁量が無い。だってわたしはこの3人が大好きなのだ。だから何をどう書いても真実味は失せるだろうと気持ちのどこかでブレーキを掛けていた。

だけど熊を見つめているのだ。わたしの内面で彼等は熊を熱く見つめている。その眼差しの果てを探りたい。彼等を突き動かした熊愛を共感したい。no bear no life。うまく説明できないという合言葉はむしろGOサインである。

さてわたしは統合失調症だ。だが統合失調症とDID(解離性同一性障害)は少し異なる病気である。医療従事者サイドではない、主観的なDIDの記録をちゃんとまとめたい。そんな思いでもうひとつブログを改めることにした。

ブログ内に点在していた闘病記録を読みやすくまとめた。わたしは書き殴られた自分の文章にもう一度向き合うつもりである。これは徳島から高知へと向かう鈍行列車に揺られながら決意した。まあなんにしても緩い決意であるが。

またプロフィールには人間の、というべきか、日本人の名前を添付した。わたしはなんとなく自分の中で昇格を遂げたようである。スママリ。良い名である。

てことで、中井貴一は永遠に不滅ですね。やっぱ中井貴一は武士でしたね。

http://sumamari.hatenadiary.com/

熊男たちのブログはこちらです。

http://georgepatrick.hatenadiary.com/

DID闘病記録はこちらです。こちらは今のところ全て転載で書き下ろしはありません。