fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

ミスターチルドレン「クロスロード」

https://www.instagram.com/p/BGshr4Llg9x/ 東京にドイツ文化センターというところがある。早速オンラインライブラリーに登録してなんやかんや検索をしてみたがこれだという資料は見つからなかった。検索の仕方が下手なのかもしれない。もう昼になってしまったので温かい汁そばに茗荷と葱をトッピング、簡単に昼ごはんを済ませた。

ぼんやりしている。

ユーチューブでミスチルのセンターオブユニバースのライブを探す。ない。センターオブユニバースはアルバム「Q」の一曲目の曲だ。走りながら聴くのにちょうどいい曲である。途中早口でそこは何言ってるかわかんないけど。いつかちゃんと歌詞を調べようと思っているが走り終わるといつもセンターオブユニバースのことは忘れている。だから走っている時だけなのかな。センターオブユニバースなんてことを考えるのは。

リヒャルトが育ったギーンゲンはドイツとスイスの国境のあるバーデン・ヴェルテルベルク州の東、なんとかいう川の近くの町だ。1881年リヒャルトが伯母から手作りのフエルトの象のぬいぐるみを貰った時マルガリーテは34歳、リヒャルトは幼児であった。1890年、おそらくまだ10代のリヒャルトは父親を病気で亡くした。

ふと思いついて本棚に本を探す。あった。エクトール・マロ「家なき娘」。

iphoneで検索、主人公のペリーヌの父親が旅の途中で亡くなった年は1878年。物語の舞台はドイツではなくフランスだけれどさ。その時ペリーヌは11歳だとすればペリーヌは1867年生まれ、ペリーヌはリヒャルトより少しお姉さんだった。ペリーヌ物語1893年に初版、作者のエクトール・マロは63歳、孫のために書いたおはなしだとどこかで読んだ。ペリーヌの工場の同僚のロザリーに弟がいた。名前は何だったか。そうか、リヒャルトはあんな感じのやんちゃ坊主だったのかもしれない。

ヨハンナ・シュピリが「ハイジ」を出版したのは1880年であった。物語の設定は1889年とある。数字の間違いだろうか。ヨハンナ・シュピリは9年後の話を書いたことになる。ハイジは9歳の時にフランクフルトに移り少し年上のクララと出会っている。だからハイジとクララとペーターは3人ともリヒャルトより年下だ。リヒャルトの父フリッツが亡くなった1年後の1891年、クララは歩けるようになった。

ちょっと検索してみたがジーン・ウェブスターは1912年に「あしながおじさん」を出版した。55PBが発売された丁度10年後だがその時ジュディーは大学生だった。女子大生だ。もしもニューヨークでジュディーとリヒャルトが偶然出会っていたらお互いをまあ素敵、ヤバい可愛いなんて思ったかもしれないな。しかし本が出た4年後に作者のジーン・ウェブスターは39歳でこの世を去った、彼女は初めてのお産で女の子を産み、その翌日に亡くなった。わたしが一番会いたい人とは彼女である。

ペリーヌ物語を書いたエクトール・マロは1907年に77歳で亡くなった。シュタイフのぬいぐるみは話題になっていたというが彼ははたして孫に買い与えただろうか。

ちょっとしんみり検索。安政の大獄は1859年。1867年大政奉還、1868年明治維新井伊直弼吉田松陰シュタイフのことを知らずに亡くなった。

わたしが営業担当であったなら是非ともサンプルを贈りたかった。わたしもシュタイフの熊、一個欲しいな。

19世紀の石畳と乾いた土の道、川の向こう、遠くの方で蒸気エンジンの音が鳴っている。そんなクロスロードの午後である。

https://youtu.be/rxRO_Wm4Kec 桜井さん歌ってるよ。