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fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

イエローカレーを作ったり、寒天を赤く固めたり

https://www.instagram.com/p/BHNn-P5jQdr/

数日前リヒャルトの本をトートバックへ入れて肩から下げ、ふらりと町へ散歩へ出た。

スターバックスに入って座る。ふと前の席に懐かしい友人の姿を発見した。一瞬人違いだろうと思った。先月連絡を取り合った。嘘、なんでこんなところに。

やだ今何してるのと結局3時間話し続けた。手を振って別れた。もうとっくに昼を過ぎている。おにぎり屋さんでおにぎりを買い帰りのバスに乗り込んだ。おにぎりなんて作ればいいのに、と言われそうだがここのおにぎりのご飯粒がほぐれる感じや、塩気がしっかりしてるところなんかをとても気に入っているのだ。

熊のぬいぐるみなんて調べてんの。友人の言葉を思い返していた。‥‥ぬいぐるみなんてみんな一緒じゃん。友人はわたしがドイツ語を独学していると言っても全く驚かなかった。ドイツなら行きたい、一緒に行きたいよと真剣な表情だった。

帰宅して映画「男はつらいよ」。映像ではなくネットで脚本を読む。1969年の第2話「続男はつらいよ」。当初この映画はTVドラマであったそうで仮タイトルは「愚兄賢妹」であったらしい。

わたしはこの第2話が1番好きだし、名作だと感じている。第2話の寅次郎は実の母親に逢いにゆきそこで最悪なシュチュエーションとなる。初めて逢う実の母だ。しかしミヤコ蝶々演じる母親には「金なら無い」と冷たくあしらわれてしまう。

何度も見た映画の場合、映像を見るのもいいが脚本を読むならば何かしら発見をする。こんなシーンあったっけ、とやってるので単に記憶を想起する力が弱くなっているだけかもしれない。

わたしには1つ年上の兄が居る。これまでは渥美清を見ると父を思い出すことが多かったが最近は兄を思い出したりする。兄は十代の後半のころは昼間に道を普通に自転車を漕いでいるだけで職務質問をされるというようなちょっとした風情のある人だった。

兄とも10年以上前に絶縁しているが風の便りに借金をして逃げていることなどを聞いたり、完済をしたとかまた借りているとかそんな話ばかりを聞く。どちらか一方が死んでも知らせない。そういうのを絶縁というのだけど。

渥美清は20代後半に結核で片肺を摘出している。回顧録などを読むと結核を病んだ経験がその後の自身の人格形成に大きく関わっているとある。

「続男はつらいよ」の渥美清演じる寅次郎はその後のシリーズ化された一連の映画には見られない粗野で荒削りな一面を見せる。所構わず乱闘をするし、サクラを殴るシーンもある。放浪の人生とか根無し草と言う。狂気と孤独を描いているという意味でこの第2話に勝る作品はシリーズ中には他にはないだろう。

恩師の死に面した寅次郎がいつまでも泣き止まないのでお寺の和尚さんにたしなめられる場面がある。

わたしは兄の泣き顔をよく覚えている。父、兄、弟、叔父たち。考えてみればわたしの周囲のほとんどの大人の男たちは人前で泣き顔を晒して憚らない、そんな無防備なところがあった。

この辺でわたしは脳内をリヒャルトに戻した。リヒャルトが55PBを作ったのは25歳の時だった。リヒャルト46歳で渡米、そして米国で亡くなった。

尾崎放哉が大好きだったという渥美清は晩年「周囲に嫌われて死ぬ」人生を演じたかったと言ったらしい。

嫌われて死ぬ。嫌われて構わないということか。理解されにくい不器用さをそんな言葉で表現したのかな。

あのね、熊のぬいぐるみは癒しなんかじゃないんだよ。ぬいぐるみを子どものおもちゃだと言った友人にわたしは反論する。じゃあなんなんだよ。わたしは言葉を飲み込んだ。だけど癒しっていったいなんなんだよ‥‥。そのときはそんなことを考えていた。

すももシロップで赤い寒天を作り、蒸した海老とオクラでイエローカレーを作った。

やっぱりTSUTAYAで映画借りてこようっと。