吉田秋生/BANANA FISH

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お母さんは胆嚢癌で亡くなったんだっけ。エコーを見ながら内科のドクターが突然話し掛けてきた。そうですよ、だけどわたしのポリープ、コレステロールポリープでしょ。わたしは返した。検査後診察。異常所見特に無し。ポリープはもう何年も前から4ミリのままなのだ。

良かったら点滴して行きなよ、というドクターの一言に御免と詫びて、そそくさと会計を済ませクリニックを出て歩いた。正午過ぎ飼っていた猫が絶命した。胸腺の末期癌で余命2時間と言われてから1年以上も生きた。何度も死の橋を戻ってきた猫だ。わたしは足や背骨のリンパマッサージをし続けたが今日は反応が帰らなかった。夫に諭されわたしは猫から離れた。

猫を小さな箱に入れて休日でも死亡動物の焼却をしてくれる施設まで1時間ほど車を走らせた。施設の職員さんが優しく声を掛けてくれる。泣くまいとしていてもお別れをと促されその場で泣き崩れてしまう。

存在感のある猫だった。打てば響くような勘の鋭い猫だった。まだ若い小股の切れ上がった小粋なメス猫だった。元気なころから弱音を吐かない。通院や引越しなどの移動でケージを天袋から降ろすと自分からすっと入る。動けなくなってからはやって来た客人を出迎えようとして必死で立ち上がろうとするがもうそれは出来ないのだと、そんな現実を止む無く受け入れてか苦々しい目をしてぼんやり宙をみていた。

焼却施設の帰り道、夫がわたしをまた迎えにくるからと行きつけのカフェの前で降ろしてくれた。週末で店は混んでいた。わたしは虚無感やら喪失感やらで言葉も出ない。今朝クリニックで健康体だと太鼓判を押されたはずだというのにしんじつ身体が辛い。呼吸をするのがやっとである。

夕方までの数時間をカフェで漫画を読んで過ごした。このカフェの本棚にある吉田秋生BANANA FISH」全巻が前からずっと気になっていた。今日一気に3巻まで読んだ。アッシュの兄が亡くなりアッシュは刑務所を仮出所。

自制だアッシュ自分を失ってどうする。

わたしは胸に熱いものがこみ上げた。気がつけばカフェのボックス席で涙をぽろぽろと流していた。

高校時代吉田秋生が好きだった。「カリフォルニア物語」「河よりも長くゆるやかに」「夢みる頃を過ぎても」懐かしい物語を次々と思い出した。

BANANA FISH」が話題になったころわたしは長女を妊娠、今後漫画を2度と読むまいと決心し、本棚のコミックを全て友人に譲った。あとで返せとか言わないでよ。友人は困惑して笑った。

あれは願掛けだったのだ。これからは漫画を我慢します、だから神様わたしを良い母親にしてください。わたしはそんなことを真剣に大真面目に祈ったのだ。わたしという人間は阿保みたいに単純だったのだ。

猫が死んだよと娘ひとりひとりに電話で知らせた。苦しまなかったよ、長く生きたよ。電話口で泣いている娘たちをわたしは諭す。

帰宅後夫に漫画「BANANA FISH」の説明をした。アッシュはどうなるの?エイジは?乗るか反るか、殺るか殺られるか。苦しく出口の無かったアッシュの人生。これから彼はどうなるのだろう。うん、それがわからないの。実のところわたしは今も物語の結末を知らないままなのだ。

結末がどうであれアッシュの人生が辛かったことに変わりはない。たとえ物語がハッピーエンドを迎えてもそれが無かったことになるわけではない。

猫一匹が消えただけのわたしの部屋がなにかすっかり別の誰かの部屋のように思えてならない。

これも病気のせいだろうか。明日になればまた何かが違ってゆくのだろうか。