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fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

Phil Collins - You Can`t Hurry Love

https://www.instagram.com/p/BH-r7urjGP7/

http://youtu.be/Ao9SIKC48vg

フィルコリンズは今ではもうすっかりおじいちゃんになってしまったがわたしはフィルコリンズのこの曲が大好きで、特にこの踊りまくって何かを懇願するボーカルスタイルが好きだな。しかもなんで背広なんだろな。

今日は猛獣使いの本を丹念に読んだ。まだ頭の中がもやもやしている。ボリショイサーカスの公演に1度行ってみることに決めた。何か特に期待はしていない。何かとストレスフルな時代だ。猛獣たちもゆったりと生きては行かれないのは仕方が無い。

サーカスを動物虐待だというのはたやすい。ボリショイサーカスが有機的画期的転換期を迎えた1939年のそのすぐ後に第二次大戦が起きた。動物愛護どころではない悪しき事実が人類にはある。世の中は今なおあの大戦の生傷を脳内に引きずる人々が存命だ。

先日内科で胆嚢のエコー検査をしたがその日にわたしは胆管の難病でポックリ亡くなった祖父のことを少し思い出していた。15年前大学病院でPSCという胆管の難病だと告知された時にご親戚でそのような病気の方はおられますかと聞かれたがその時は全く思い出せなかった。

祖父が親日家でわたしたち一族の苗字を名前を日本風に付けたことも最近ひょこっと思い出したことだが、わたしが生まれた時にわたしの名をハングルでは読みづらい、朝鮮では通用しない日本風の女の子の名前を持ってきたのも祖父であったのだ。

しかも祖父は日本語があまり上手ではなかった。祖父は常識人でわたしは祖父には普通に可愛がられたが、祖父は孫娘の名を自分で名付けておきながら、その名を正確に呼ぶことが出来ず、自作の造語でわたしを呼んだ。それは絵本に出てくるファンタジックなキャラクターのような奇妙な呼び名だった。

この数日祖父の記憶が溢れ出す。祖父がわたしに袋に一杯のカセットテープをくれたことがある。忘れもしない、あれは高3の春だ。そのあと祖父はポックリ死んだから覚えている。テープは20本くらいあっただろうか。わたしはテープを一本一本再生した。どのテープにも似たような朝鮮民謡が録音されていた。それはプロの歌手の歌であった。

盆暮れや祭祀(チェサ)(いわゆる法事ですね)で朝鮮人の年寄りたちがやってくる。日本贔屓の祖父は酔いが回った年寄りの友人たちに怒鳴られ攻撃される。叔父のひとりがなんでうちはこんな苗字なんだよとボヤいたのはそのときだったが、祖父は困った顔でやられてばかりでやり返すことはしない。

祖父が亡くなり祖父の遺言が明かされた。驚いたことに祖父は自分の葬儀を朝鮮式でやるようにと書き残していた。集まった祖父の代の年寄りたちは即決だった。その夜は嫌がる父や叔父たちに年寄りたちの説教が長く続いた。

忘れもしない葬儀の朝、狭いボロい長屋の路地は白装束の男たちで埋め尽くされた。打楽器が鳴り響く。祖父の棺を若い衆が担いで歩く。その時年寄りのひとりが歌いはじめた。ああこれはあのカセットテープの曲だ。

謎めいた呼び名でわたしを呼ぶ懐かしい祖父の声は今でも脳内で再生出来る。祖父は宴会で歌わされる時のわたしの歌を褒めてくれた。幼いわたしが祖父の前で繰り返し歌ったのは兎のダンスという童謡でわたしは自作の振り付けで踊りながら歌ったものだ。

祖父はテープの爪を折っていた。わたしはその爪にセロハンテープを貼りカセットは全てラジオ録音に使わせてもらった。今思うとなんだか勿体無いことをした。

朝鮮民謡には速いリズムの軽快なものもある。あの日祖父のテープの一本はフィルコリンズのテープになってしまった。若き祖父とこの曲で一緒に踊りまくるなんて空想をしたりしてるんだけど、なんだか涙が止まらない。

全然眠れないからロヒもうひとつ飲んでみるか。

フィルコリンズのこの曲を聴いて泣いているなんてたぶんあたしくらいだな、うん。