Mr.Children【es】〜Theme of es〜

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体調が悪い。腰痛がどんどん進んで両脚も痛んできた。夕べは痛みでなかなか眠れない。原因は判っていた。小説だった。小笠原慧「DZ」を完読した。「DZ」は染色体異常として生まれた3人の男女の物語である。小笠原慧精神科医岡田尊司ペンネームだから「DZ」は現役の精神科医が書いたSF小説である。

もう20年以上前になるが内科の開業医で小説家の知り合いがいた。知人の主宰する同人誌にときどき寄稿する彼の小説は厳しい景色の話だった。彼は戦中の京城の生まれで、敗戦後は東京の親類の家で間借りして暮らしていた。京城で取得した医師免許は事実上無効で、彼は苦労をしてもう一度医師免許を取得せねばならなかった。

彼は当時同人誌に書いたわたしの短編小説をときどきぐさりと批判した。これじゃあぼんやりしていて何が言いたいのかさっぱり伝わらないよ、大事なことが抜けていますね。わたしはたいていそんな時ドキリとした。自分でも気付いていたからだ。

開業医なんかしていると自分中心でワガママな嫌な人間に沢山会わねばならない。いつか地下鉄の中でポツリと彼が言った。わたしは辛口の彼の言葉をいつも心地良く感じていた。彼の小説の主人公は決まって泥臭く醜いすぐそこに居そうなリアルな人間性をしめすのだ。そして彼の小説は全て私小説なのである。

「DZ」は無闇に長い小説だ。多くの文字数を使って小笠原慧が、精神科医岡田尊司が書きたかったことは何だろう。単なる娯楽か。小説家としてのこうしたパフォーマンスが日々のやりきれなさを吹っ切るストレスマネジメントになっているのか。

3人の染色体異常のキャリアたちはそれぞれ別々の人生を歩んだ。グエンは歪んだ自尊心をひたすら満たした。涼子は自分をモンスターだと侮蔑し忌避した。沙耶の内面は描かれない。ただし沙耶は施設で温かな愛情を培う日々を送る。

わたしは精神科へ通院してだいぶ長いがじつは今でも自分の脳みそがそれほどいびつであるとは思っていない。脳内で声がする。昨日は久しぶりにその声に応えてみた。わたしはすごく久しぶりに脳内の声と会話をしてみた。

今朝起きると脳に膨満感があり前頭葉の辺りがずきずきと痛んだ。こんな頭痛は初めてだ。朝食後気が付くと夫にグエンと涼子と沙耶の話を延々とし続けていた。3人は染色体異常だから、自分ではどうにも出来ない、だからそういう風に生まれてきてしまったのだけどとにかく生きなきゃならないでしょ。夫は何度も何度もうなづきながら出勤するぎりぎりまでわたしの話を聞いてくれた。

洗い物をしながら夫の返事がなくなっていて、わたしはまた脳の人と会話をしていることに気付いた。慌てて玄関へ走る。見ると夫の靴が無い。マシンガンのように話すわたしにおそらく夫は行ってきますも言わずにそっと出て行ったのだった。

わたしはついさっきまで重たく痛んでいた頭が軽くなっていることに気付いた。ミスチルのCDが入りっぱなしになっているプレーヤーのスイッチを押した。

わたしは自分が精神病であることをもう悲しいとは思わない。わたしはグエンであり、涼子であり、沙耶だ。

岡田尊司は水田か。だとすれば自虐である。いやひょっとしてかっこいいベトナム帰りの退役警官のつもりかな。それはあかんやろう。だけどそれはリアルに辛い役回りかもしれないな。

目の前で沢山の愛する人が次から次へと亡くなっていく。彼はどうすることも出来ずにそれでもひたすら走り続けるのだ。

岡田という医師には会ったことはないが医師という酷務の道を自ら選んだ。そして自分も壊れながら、半分死んだようになりながら生きる道を、モンスターのわたしたちと共に駆け抜ける覚悟で走り続けてくれているのならそれがたとえ赤の他人だとしてもわたしはとても嬉しいのだ。