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fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

平凡社 辻村伊助「スウィス日記」

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辻村伊助の手記は1冊持っていて、だけどこの「スウィス日記」の方が先に書かれたようだったから図書館の本棚で見かけたときに思わず手にとってしまった。調べてみるとこの「スウィス日記」とわたしの持っている「ハイランド」は2冊同時に出版されたようだ。

リヒャルトのことを調べはじめてからもう無駄な読書をしたくないと思うようになったけれどドイツばかりで頭がこんがらがってたから息抜きにいいなとぼちぼち読んでいる。

辻村伊助は大正2年にシベリア経由でドイツに入っている。10月に敦賀からウラジオストクへ渡った。ウラジオストクからは鉄道かな。シベリア鉄道の全線開通は多分この時期だと思ってたけれどこんなに早かったんだな。

辻村は旅の途中ドイツとオランダで1カ月を費やしロンドンで武田久吉に会ったときは12月。武田久吉はこのスイス紀行の文庫本に長い前書きを寄せている。そして彼は辻村伊助のもう一冊の文庫「ハイランド」に登場する。

わたしが「ハイランド」を読んだのは何年も前のことだ。そのころはわたしは北海道の余市のニッカのウイスキー工場で食べたスコッチブロスをどうしても作ってみたかった。それでヴィクトリア朝時代に近いイギリスの滞在記を日本語で読みたくて購入したようなそんな記憶がある。

じっさい辻村伊助はエディンバラの街で鶏肉のスコッチブロスを食べ「分量の多いのに度肝を抜かれる」と書いている。わたしは「スウィス日記」を読みながら「ハイランド」もぱらぱらと読んだりしている。

「考えてみると倫敦の生活は呑気であった。日曜などは武田君と近藤君と三人で、時によると朝っぱらから叩き起こされて、朝食も昼食も食べずに夕方まで歩かされた」(平凡社「ハイランド」p28)

辻村伊助はロンドンの街を友達とぶらぶらしたのち単身スコットランド登山の旅に出る。そののちはスコットランドから東へ海を跨いでスカンジナヴィアへ行ったが、この旅行で一緒にロンドンの街をぶらぶらした友人の1人である「武田君」が武田久吉だった。

武田久吉父親はイギリス人のアーネスト・サトゥ。このサトゥはスラブ系の姓で日本の佐藤とは無関係らしい。ふむふむイギリスにも佐藤さんがいるのか。

アーネスト・サトゥはどこかで読んだことがある。日本がまだ江戸時代だったときに日本へ来たイギリス人。明治になって武田兼(かね)という女性と結婚した。武田久吉は次男である。

しかしかねとアーネストは結婚はしていない。内縁の妻であったようだ。かねの死後自宅からアーネストがかねに宛てて書いた手紙が500通見つかった。500通ってちょっとすごいなあ。

かねは1度もイギリスへ行かなかったけれど次男の久吉はロンドンへ留学して植物学者になった。

ちなみにこのとき辻村伊助がロンドンをぶらぶらした友人のもう1人「近藤君」というのは近藤茂吉という人でこの人はどうやら登山家のようである。

近藤茂吉とは12月のロンドンで別れたが翌7月26日の土曜日の午後にスイスの都市インテルラーケンで待ち合わせをし、2人は8月のスイス登山を楽しんだ。

「ホョーエウェークを、二人ともくわえ煙草でのそりのそり歩き回る。近藤君は身の丈一間に垂(なんなん)とする大男、これでも日本人は小さいって云う気かって顔をして大股に寛歩(かんぽ)を運ぶ有様が側についているだけでも気が強い」(「スウィス日記」p296)

こののち大きな戦争が起きて日本とヨーロッパの各国は難しい時代を迎えた。だけど辻村伊助は大正12年の関東大震災で亡くなったからそういうことは知らない。

少し前にamazonで「シャーロック・ホームズの冒険〜シャドウゲーム」のDVDを買ったら「コードネームアンクル」のポストカードがおまけに付いてきた。

なんかいいなって冷蔵庫に貼っておいたんだけど「頂戴」というので長女にあげました。