『悲しみの果てに何があるのなんて 誰も知らない見たこともない』
エレファントカシマシの彼はわたしの未完の小説の主人公の精神科医のモデルである。小説の中で主人公の男性は売春婦の私生児として生まれ、生後間も無い期間のネグレクトののち施設で数年を過ごした。
彼の父親は主人公の母である女が売春をしたとして収監されてのちDIDであるとして医療保護入院をしたときの主治医の大学の後輩に当たる。父親はまだ若くインターンであった。しかしながら将来を有望視されていたれっきとした精神科医であった。
母親はまだ若かった。治療が進むにつれ彼女の心の闇は薄らいでいったが同時に彼女の心の崩壊も様々な治療を持ってしても誰にも止めることは出来なかった。
何故DIDを治療すると患者は生き辛くなってしまうのだろうか。良識を取り戻した彼女は施設で暮らす幼い我が子を伴い心中を試みるも駆けつけた男たちによって心中計画は頓挫する。
「死なせてくれ。この子も、このわたしも、この社会に居たところでなにひとつ有用なものを生み出しはしない」。その日に彼女の述べた正論を覆すことを男たちは出来ない。何故なら彼らは皆精神科医だったからである。
深く、取り戻せないほどに深く心を病んだ人間が病気の進行と共にいかに人格を崩壊させてゆくのかだけを当時の彼らは学んでいたのだ。”精神分裂病”という病名の持つ圧倒的な現実を女は存分に知っていたし、彼らもまたそうだった。
しかし1人の男が立ち上がった。
それが主人公を施設から養子として引き取り育ての親となる。この男は極論で満ちている。崇高な理想を持ち、子育てをしながらも施設で闘病中の女を金銭的また物質的に何十年も支えたのだ。彼にあるのはひとつの単純な思想であった。精神分裂病は治る。それだけであった。
女が施設内で亡くなった日、彼は葬式で我が子に全てを打ち明けるかわりに1人の男を引き合わせた。その男とは彼の長年の友人であり、幼くして養子として我が子となった主人公の実の父親であった。
主人公の苦悩はこの時からはじまる。
わたしの小説はここから書き始めている。設定は主人公が若き精神科医として1人の女性のDID患者を診ている場面だった。
この日既に主人公は悲しみの果てにいた。悲しみの果てには何があるんだろう。
『悲しみの果ては素晴らしい日々を送っていこうぜ』
エレファントカシマシのこの歌が大好きだ。悲しみに果てがあること、悲しみの果てを誰かと2人で、いや3人、4人で共に「ここが悲しみの果てだよ」と共有する場面を書きたかった。
わたしもまた極論に満ちている。先週の診察で逃げてはダメだと言ったわたしの現実の主治医もまた極論に満ちている。
わたしはこれまで逃げて逃げて逃げ続けてきた。そうしなければ生きられなかった。しかし今は悲しみの果てで悲しみを一緒に見てくれる沢山の脳内の友人たちがいる。わたしの悲しみとは何か。全ては過ぎ去った過去である。わたしは今とても幸せなのだ。
脳内の友人たちとの会話は健常者には幻覚であり妄想である。悲しみの果てにある素晴らしい日々とは、実際には濃い闇に包まれた大いなる独話に過ぎないのだろう。
主治医とはいえわたしの脳内を見ることは出来ないのである。
例えば互いの脳内を1匹の熊が行ったり来たりをするというファンタジーでもない限りは。