五柳書院 「ブルガリアにキスはあるか」荒川洋治

https://www.instagram.com/p/zroDCpFg9D/

(ミセス・ハーバード・スチーブンス/可児市花フェスタ記念公園)

荒川洋治「美代子、石を投げなさい」は1994年出版「坑夫トッチルは電気をつけた―荒川洋治詩集」に収められている。「美代子、石を投げなさい」を読んだときの衝撃を覚えている。詩人ていいなあ、詩人がいいなあと何日もぼんやりしていた。

ブルガリアを調べていたら荒川洋治にヒットした。1989年に始まった東欧革命。荒川洋治は何度も東欧へ足を運ぶ。ブルガリアは何もない。冷え冷えとして夜景までもがさみしい。ホテルから一歩も出たくないと彼は綴っている。

今日は映画「ソフィアの夜明け」を観た。あかん映画だった。あかん感じに号泣してしまい些細な映像の機微が大いに損なわれてしまう。やれやれどうしたものか。

そもそも「ソフィアの夜明け」は映画と呼べるか。監督を含めて役者たちのほとんどは映画初デビュー。主人公の男優は実名で登場。映画のストーリーは彼自身の半生であり、劇中で取り乱して泣き叫ぶ恋人役は本物の恋人が演じている。スタッフやカメラさんたちはどんな人たちだったのだろうか。余分な心配をしつつもブルガリアの街がとにかく観たかった。画面に張り付いた。

「冷蔵庫の中に魂を置き忘れた気分だ」薬物依存性の治療中の主人公がセラピストに訴える。「水晶のような心になりたい。全ての人を愛したい」。わたしは涙が止まらない。

早朝、閑散としたブルガリアの首都ソフィアの大通りの真ん中を主人公の男性がトボトボと歩くシーン。バッハのピアノ協奏曲ニ短調が流れる。助けて。悲鳴のようなピアノ曲。もう勘弁してくれよ。こんな映画観なきゃよかったとこの時は流石に思った。

主人公の心情をもっと知りたい。白水社 ヴィクター・セベスチェン「東欧革命」を読みはじめたけれど、こんなこ難しい本は必要ないかもしれない。普通の暮らしがしたい。どこに住んでいても、何をしていても願いはひとつだから。

ソフィアの夜明け」はもう2度と観たくない。彼はわたしでわたしは彼だった。だからそうだわたしはお金を貯めてもういちど旅に出ることにしよう。今はそんなことしか思いつかない。そうしなければこの底なしの苦しさからは逃れられない。

「ぼくなら投げるな ぼくは俗のかたまりだからな。

(中略)

石ひとつ投げられない 偽善の牙の人々が 君のことを書いている 読んでいる

(中略)

きれいな顔をして 君を語るのだ

美代子、あれは詩人だ

石を投げなさい」

水晶のような心を求めることは必ずしも完璧主義とは違う。詩人としてしか生きられない。それはそういう心の衝動。ブルガリアにキスはあった。何もなくともそれで十分だと荒川洋治は書いている。