おはるさんとやなせ杉

f:id:fridayusao:20161219054302j:plain

東海自然歩道を歩く。これは檜(ひのき)、これは杉。木の幹だけを見る限り若木では檜と杉はぱっと見は見分けが付かない。植林地らしく杉は同じ品種の杉だが檜は時々は大木もあった。わたしは辛抱強く見続けていた。

いや山を所有しているわけじゃないんですよ、伐採する前に目をつけた木を買い付ける、それからその木を材木として売るんですね、切ってみたら価値はそれほどでもなくて損をする、山師っていうでしょ、山師って言葉はそこから来た。彼がはにかんだような笑顔になった。

一尺が取れる木なら立派な材木ですよ。一尺‥‥30㎝くらいかなあ、わたしはひとり彼の言葉を思い返しながら目の前の檜の幹に手を当てた。

お金になるかじゃなくてさ、〇〇さんが1番好きな木って何?さてはたして山師は本音を答えてくれるのか。わたしは彼の目をじっと見た。欅。間髪入れず彼が答えた。

欅(けやき)は家具や建具に使われると彼が続けた。親父の建てた古家を解体するってなった時兄貴が戸袋をさっさと外して持ってっちゃってさ、ありゃいい戸袋だったな、僕もあれが欲しかったな。

欅には黒いシミのような模様が出る、木目は不揃いで無骨だけれど味わいがある。知ったかぶりじゃないよ。これが欅って知らなかった頃に買った欅の火鉢をテーブルにして朝お茶をしている。

「おはるさんとやなせ杉」は宮尾登美子の短編小説だ。おはるさんは3回結婚したけれどあまり幸せではなかった。だけどおはるさんは泣かなかった。おはるさんが悲しげに涙を流したのは年老いて施設に入ることになって大好きな住処を離れる日、山を降りる日のことだった。

山を降りたくないと泣くおはるさんの話を久しぶりに読んだ。おはるさんが杉の木。長いあいだの風雪に耐えた。高貴で上質なやなせ杉そのものだと、そんなことを思った。