海からよせくるもの

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山口県は三方を海に囲まれている。今週は山口県の本を2冊。ひとつは弥生遺跡から江戸幕府、長州ファイブに廃藩置県とランダムに山口県について書かれた本、もう1冊は長州藩から照射した明治維新を詳細に論じた学者たちの論文集であった。

わたしは大学へ少しだけ通ったことがある。大学への憧れというよりは大学で過ごす時間が好きだった。当時親族が自営する飲食店の手伝いのなんやかんやが息苦しく日常を圧迫していた。

わたしの専攻は歴史学で1年生から幾つか歴史の専門授業もあった。教養の授業の他に日本史、西洋史、東洋史の3コースから自由に講義を選べた。

わたしは歴史に特に興味があったのかというとそうでもなかった。高校へ進学してからは理系で将来は獣医になるのが目標だった。いろいろあってその夢は潰えている。

わたしが日本史の専門授業に選んだのは背の低い頭の禿げたお年寄りの教授の講義でそのお年寄りは中世の荘園制度を研究していた。本は学食の隣の売店で売っていて千円だったのを覚えている。

定期券と辞書類など大量の教科書代。持ち金が減って行く中で千円も出してあの禿げたお年寄りの本を買わねばならぬ。わたしは売店でその本を買った。

ところがその授業は大変楽しいものだった。春には百人は居た生徒は次第に減り学期末試験を受けたのは20人ほどだったが試験は原稿用紙にそれまでの授業の感想を書くというもので本やノートの持ち込みは自由であった。わたしは下書きした原稿を持ち込みさっさと試験を済ませたのを覚えている。

もうひとつ印象に残っている授業は比較文化論の講義で講師は遠くの国立大学からの臨時雇いだった。その教員の書いた本は薄いが千円した。

この授業は一限目ということもあって当時夜半まで活動していたわたしは朝が起きられずあまり出席は出来なかったがエスキモー(イヌイットだったかな?)の宗教観を詳しく論じたその本は面白い内容で仕事の合間に何度も読んだ。

その教員の試験もまた資料持ち込み自由であり、3つの設問に長文で答えを書くという形式だった。なかなか授業で接触出来ないその教員宛にわたしは答案用紙の余白を用いて幾つか質問を書いた。すると驚いたことに後日教員からわたし宛に学生課の掲示板にメッセージが貼られていた。

貴殿には単位は与えない。単位が欲しければ来年度も当講義を履修すべし。メッセージはそんな内容であった。わたしは友人に連れられてその掲示板を見たのだがおいおいあの先生お前のこと怒ってんじゃね、とはしゃいでいる友人を他所にわたしは内心で湧き上がる好奇心を抑えきれず笑いが止まらなかった。

その年で大学を辞めたので結局その講義を聞くことはなかったけれど。

山口県は三方を海に囲まれていて東の端の熊毛郡には昔朝鮮人もやって来たらしい。海岸沿いでは難破した船の乗組員を殺して積み荷を略奪したこともあったがじっさい海賊も多く出たとある。

西には宇部空港がある。このあいだ雪国のプーさんが来た空港だ。そしてその少し北には下関。

西暦1900年。わたしの祖父と祖母たちはまだ10代だった。日本で新しい暮らしを始めようと祖父等は数人で海を渡って来たという。祖母はまだその日嫁いだばかりの新婚だったという。新妻だった祖母は単身故郷から遁走しての山口征きだった。

戦時中かの遁走の祖母は一度ならず朝鮮の生家へ帰ろうと下関へ来たという。

わたしは大学へはもう行かれないが大学と言っても本を読んで感想文を書くだけでいいんじゃないのと少し間違った認識を持っているから難しい論文集や優しいお年寄りの本を読むことがわたしの大学である。

海からよせくるものを知りたい。やんちゃなDNAをありがとうと祖母にはお礼を言いたい。