そこが崖の下だとしても

解離性同一性障害という病気は今でこそようやく広く知られるようになった。私が通院を始めた2000年ごろは資料も少なく、文字通りやみくもに進まざるを得ない状況だった。

治療の妨げとして最大かつ最強のものは私自身の幾つかの認識である。ひとつは精神障害への偏見。当時そこが精神科であるというだけで、大きく打ちのめされていた。

今では私は少しだけどお利口になり、自分は糖尿病や心臓病と変わらない精神病という病気を持って生きているということをわかっている。治療している。そして何より回復している。そう信じている。

もう一つの治療の妨げは、つらい現実を素直に受け入れられないという、先天的かつ後天的脆弱気質である。

解離の本質は逃避である。逃げて逃げて逃げまくる、そんな人生だったのだ。受け入れるという選択はない。そして解離とか人格交代とか、そんなむつかしい言葉で説明される脳の作業は私が意図してやったわけではない。牧歌的なのほほんとした脳内リゾートはいつの間にかあたりまえのようにしてそこにあった。

ちょっと昔に読んだから誰か忘れちゃったんだけど、複雑性ptsdの回復はらせん階段を登るようだ、とあった。引越し、子どもたちの自立などライフステージの変化でDIDには幾度となく急カーブのような危機が訪れるのだ。記憶情報は巨大客船が浸水し沈没するかのように、命を脅かす。水密扉が開くとか、たしかそんな表現だったけど、大きな記憶の塊が自分に戻る時、相反する感情は沈みゆく船の引き起こす大渦のように、脳をめちゃくちゃにする。

大人が子どもを傷つけた、という単純な解釈が通用しない虐待者への強い愛着は、利己的で自己愛的な大人たちに支配され、子どもの自分が怖がり、痛がり、限界を超える苦しみに直面する回数に相関して強まるのだ。

子どもは求める。そして最後まであきらめない。

解離はそれを証明しないか。

ストレス耐性という言葉がある。恐怖、不安、孤独、寒さ、切なさ、痛み。最も大きなストレスは愛されたかったがそれは叶わなかった、という現実だ。愛され、愛し合う。これが無かったのだ。

この現実との苦闘はしんどいものだ。

信頼とか、真実とか、誠実とか、信じろと繰り返し言われてもそれがなにかを知らないのだから。

しかし真実との取り組みには必ずや報いがある。

真実はいつなんどきも私を導くと、今は感じている。たとえそこが崖の下でも、真実は潔い。

負けたくない。

今日はジョギング休みました。

だらだらする日もありますね。

今日の脳内BGMはグレングールドのスカルラッテイ。グレングールドの生きにくさ、彼の闘いにシンパシーを感じながら。

ではでは、今日はこのへんで。