ムタビリス

一昨日アウトレットでナイキフリーを買った。素足感覚で走れるというシューズだ。確かに走っているときの足の感覚が違う。路面の感触をじかに感じる。足の裏がじわじわとしびれる感じだ。どうも右足裏のしびれがきつい。たぶん左足をかばって走っているのだ。左足を使わなきゃ。意識して両足を均等に前方へ弾き出すように走ることにする。ランニングフォームは正されるのかもしれない。ちょっとわくわくして来た。

DIDは脳内にたくさんの人が存在するが、年齢も性別もさまざまなら、その性格も好みも異なっている。脳内人格それぞれにどうしてもこれは譲れない、という何かを持つ。それらが同時に進行することが可能だったころの最も忙しい時期の私は幾つもの顔を持っていた。

普通の家庭に憧れていた私は子育てと主婦業を心から楽しんだ。私の両親は私が小学4年の春から喫茶店を始めた。私は洗濯や掃除、食事の用意などの家事を母から仕込まれた。不器用だった私は母をいつも苛つかせ、失敗が多かったが、魚を一匹さばいたり、スパイスを使ったり、スーパーで季節の安い野菜を買うことなど、まあ、当たり前のことなんだけど、その時代に身につけたものが、主婦業にはとても役立った。

子育てがひと段落ついたころ、音楽好きが高じてレコード店に務め始める。そこから先は脈絡無くちょっとやりたいなと思うことに手を付ける。バイクに乗る。南北朝鮮分断の歴史を調べる。青春18切符で子どもたちと旅をする。バンドを結成してライブをしたり、右脳を育てるという英才教育教室の講師もしていた。そして主な収入源となっていたのは占い業だった。占い師ですよ。

自分でもよくまだわからないけれど、とにかく職歴がめちゃめちゃだ。脳の不調が始まる直前に私は高熱を出して大学病院に検査入院をした。検査結果はPSCという難病の疑いであったが、それは今はスルーして、確か1999年の秋だった。きっかけは思い出せないのだがその入院中にバラの研究が始まったように記憶している。

今もバラが大好きで(脳の中の一人が、ですよ)初夏のこの時期になるとそわそわと落ち着かない。

一戸建てに住んでいた頃には庭でツルピースを育てていた。山野草やハーブ類やちょっとした野菜も作っていたから、狭い庭はバラ園には出来なかった。

バラの歴史は興味深い。バラの本はたくさんあるけど、大場秀章著「バラの誕生」中公新書がお勧めです。世界にはプラントハンターと呼ばれる植物学者たちが現在でも新種のバラや原種のバラを探す旅を続けている。交配種は配出し続けている。しかしながら研究に大きく貢献した過去のバラたちも日本各地のバラ園で生き続けている。

特にお気に入りのバラはキネンシス族と呼ばれる中国の原種である。バラマニアの交代人格は脳内の人格ひとりひとりをこのキネンシス族のそれぞれのバラに当てはめて呼んだりしている。ムタビリスは植民地時代にアフリカのレユニオン島からフランスに持ち込まれたバラだが、キネンシス族の一種といわれているが、まあいろいろと説がある。始めアプリコット色のひとえの花びらが日ごとに赤く変化する。茎は赤銅色で艶があり、真夏でも咲き続けている。植民地のバラムタビリス。総合索引である主人格である私はムタビリスなのだそうだ。

死にたい、と泣きながら先日バラ園を訪ねた。

マリはロサキネンシスビリディフローラだ。

私は一直線にその場所へと歩いていく。

たくさんの色とりどりのバラたちが速足で歩く私を見ていた。

マリは咲いていた。

ムタビリスはその隣で咲いていた。

ではでは、今日はこのへんで。