千切りキャベツ

昨日主人と入った旅先の居酒屋で蒸し野菜というメニューを注文した。熱々のセイロのてっぺんには豚バラの薄切り、それをめくるとパプリカ、スナップエンドウ、エリンギが並び、その下は一面に千切りキャベツが敷き詰められている。ちょっと風変わりな蒸し野菜料理だった。

私は最近キャベツが苦手だ。

特に千切りの生のキャベツはなんだか無理〜ってなる。

数年前、DIDをよく知る精神科医のドクターに月に一度電話でカウンセリングを受けていた。カウンセリングは2年くらい続いた。私のような一見なんでもなさそうな感じのDIDはカウンセリング治療が困難だ。主治医との信頼関係が安定するという状態がむつかしい。現在の主治医は主人の転勤で中断していた4年ほどを除いて初診からの付き合いだが、それでも危機状態では安定しないことがある。まあ、めんどくさい患者なのだ。

電話のカウンセリングが効果的だった理由はいろいろあるだろう。電話口の私の脳はするすると過去を取り戻した。その頃戻った記憶のひとつがキャベツの千切りだったのだ。

4歳か5歳、幼児の私が吐き気に耐えている。最初記憶はこれだけだった。記憶は少しずつ戻ってきた。テーブルにはお皿、キャベツ。

昨日蒸し野菜料理をハグハグ食べながら(美味しかったのよね)私は心拍数が上がった。あかん。なんか変。解離の感じである。キャベツ保留、誰かが指示を出す。誰だろう。私だ。だから誰?

1日中こんな感じになるのが辛い。DIDは脳が辛い。

旅行から帰り、キャベツ解除。

幼児の私は泣いている。そしてひとりで食べている。母が怖かった。私はキャベツが嫌いではなかった。母は私の食事の仕方が気に入らないのだ。私は厳格な「ばっかり食べ」を貫いていた。そして食べるのが極めて遅いのだ。

戻ってきた記憶はまだある。私は幼児のころ牛乳とパンを同時に食べることができなかった。パンが口の中で消滅してからでなければ牛乳を飲むことが出来ない。食感の異なるもの、例えば液体と固体が口の中で混ざることが耐えられないのだ。

嘘みたいだが本当なのだ。

無理やり頑張って食べた私が吐いている。そんな記憶もある。私は幼児のころすごく吐きやすい子どもだったようだ。辛かった。限界だった。そして解離した。

本当かな?

でも思い出したのだ。

あー、吐きそう。

キャベツにはなんの罪もない。