千切りキャベツ2

久しぶりに音楽が流れている。いい感じ。栗コーダーカルテットを聴いています。リコーダーは唄う。歌詞なしで唄う。

さて、幼児の私の抱えていた障害はおそらく口の中の触覚過敏だった。私は一体何を食べて生きていたのだろう?当時を振り返ることは容易な作業となりつつある。壁と天井の感じ。匂い。静けさ。私の顔。私の頭。黒い髪。小さな手。不思議なことだが私は自分自身を天井あたりから見ている。DIDにはあるらしい。私は自分の身体を抜け出し、私を見ている。

その記憶には恐ろしく冷たい空気を感じる。文字通り凍りつくような空気だ。人間の感情などその記憶にはない。生きているという生体反応すら感じることはない。空間を支配する真空状態にも近い緊迫と圧迫。当時の私には母の、その室内の及ぼす権威は絶対なものだった。居場所はそこしか無かった。

自分の親がどんなにか残酷で冷淡だったかという説明をどうしてもする気になれないのはなぜだろう。かばっている?いや違う。脅されている?それも絶対に違う。私の親達はむしろ堂々と我が子を虐待し続けていた。うまく言えないのだけど、そうした思考回路自体が失われているのだ。起きた出来事を誰かに伝えようなんて微塵も考えてはいないのだ。

DIDの実態は緊急避難活動だ。何もかも置いてその場から消え去ることなのだ。登って来たハシゴを足で蹴って落とすようにして私は逃げた。そこに再び戻る方法を自ら破棄することは欠かせない解離のスキルだ。

過去が蘇ってしまった時の不安感は生理的で圧倒的なものになる。広い宇宙をたったひとりで漂っているかのようなとてつもない浮遊感。もちろん宇宙を漂ったことなどないのだけれど、後ろにも前にも底なしの虚無があり、私は自分の体の輪郭が掴めない。そんな感じだ。

私は基本人間が怖い。それは愛着障害と呼ばれるかもしれないし、自閉症スペクトラムにおける社会性(家族というのは社会の基盤だ)の欠如と分析されるのかもしれない。

そんなむつかしい説明で救われることなんてないって思うのだ。でも私は生きながらえて今はおばさんになり、少しばかりの知恵を得た。今現在も死にたいという感じは感覚なんていうぼんやりしたものではない。なんだったら死ねるんだったらなんでもします、くらいのパラドキシカルな強さを持っている。

きっと私は何度も何度も死んだようになったのだ。でも実際には死んでない。ね。そうだよね。

だからこの勘違いは正されねばならない。あの時は、生きるために、生き延びるためにちょっとのあいだ死んだのだと。サクリファイスだ。クビワペッカリーだ。本当なのか真偽は定かではないが、クビワペッカリーという動物は危機に曝されると群れの中の一匹が瞬時に飛びだして自ら捕食され、その間に群れは逃げるのだという話を読んだことがある。

ちょっと前に動物園に行ったときのことだ。その動物園に行くのはしばらくぶりのことだった。ライオン舎が大きく改装されて、私とライオンを隔てるものはガラス一枚だった。間近で見る雄ライオンはくたびれて、ダラダラ過ごしていた。遠吠えをあげるでもなく、こちらを威嚇することもない。まるでおっきな猫だ。

私は笑いが込み上げてきた。ライオンのイメージがちょっと変わった。年を取って穏やかになったのかな。

どうしてかわかんないけど私は動物が好きだ。今日は久しぶりに正田陽一さんの本を読もう。正田さんは家畜学者だ。私は彼の牛についての本を結構繰り返し読む。

なに、動物って牛じゃん。

やっぱ牛か。

そうだね。牛だ。牛でいいね。

ではでは、また!