with everyday

今日も栗コーダーカルテットを聴いている。モーツァルトアイネクライネナハトムジークとかディープパープルのハイウェイスターをリコーダーとウクレレで演奏する。リコーダー演奏において音楽はノージャンルなのだ。時代もカテゴリーも超越する。人類皆兄弟。そんな安定感に満ちている。いいなあ。栗コーダーのリコーダー担当の人の作品で「ビーバーのダム」というのがある。NHKピタゴラスイッチという番組で時々出てくる。録画してあるので時々観るのだがこちらもいい。ビーバーなどのげっ歯類には地味ではあるが勤勉で、どこか融通の効かない独特のガッツがある。見習いたいものだ。

19歳のころ、私はダンスに夢中だった。バレエではない。舞踏だ。当時おそらく前衛舞踏というものが全盛だったのだろう。街をふらふらしてて出会ったという感じで、私はとある小劇場の舞踏公演を観た。30代の女性が薄いキャミソール1枚でくねくねと動き回っていた。舞台の袖では、おそらくダンサーの子どもであろう小さな女の子が母親の動きに調和して激しく踊っていて、私はむしろそっちのダンスばかりに目がいったことを覚えている。名前は思い出せないが彼女の公演は欠かさず観に行った。

その後縁あって一人の男性ダンサーの公演を手伝うことになる。舞台の袖で時間を測ったり、公演のフリーペーパーのキャッチコピーを書いたりした。

ある時私は知り合いを公演に誘った。公演はいつもと変わらない。古ぼけたステージに音楽はない。全裸に近いダンサーが無表情でスローだが滑らかに身体をくねらせる。首を少し後ろに倒して目を閉じる。ダンサーはひとり悦に入って、繊細で慎み深い表情を浮かべる。

公演が終わった。隣りに座る彼女を見た。驚いたことに彼女は号泣していた。「?」私は戸惑った。私の知る限り彼女は平凡で幸福な専業主婦だった。涙のわけは今でもわからない。「泣いちゃってさあ」とそのあとダンサーの男性にちょっと話したが、彼もまたふうん、というだけであった。

ここだけの話だが(これ、公開ブログですよ〜)私も実は舞踏を観ながら何度か泣いていた。そして自分でもそれがなんの涙なのかわからなかったのだ。ただひとつ言えることは泣くとなんだか頭がスッキリするのだ。私は前衛舞踏のこむつかしいダンス理論を理解していなかったし、理解するつもりもなかった。それでも確かに私には人間の心があり、私はダンサーの感情に共鳴し、慟哭した。サイコパスという言葉がちまたで流行り出した時私は焦った。自分がそうなのかもしれないと考えたからだ。

他人の気持ちを理解すること。

私はこれが不得手である。時間がかかるし、とても疲れる。ただし今はそれでトラブルになることはない。わからなくて当然、と考えているからだ。理解は無くとも和解はできる。積極的に理解したいという意思表示をして、気だて良く時を待つ。微笑みも大事だ。ダンスとともに過ごしたあの青春の日々は、私のエンパワメントのひとつとなっている。

with everydayはディックリーという人の歌である。古い友人が訪ねて来て優しく励ましの言葉をかける、そんな歌だ。ディックリーはレコード店に勤務していた頃何枚か試聴用CDをもらった。ディックリーはなかなか良かった。懐かしい。栗コーダーでコピーしてくれないかな。PVも作ろう。ハリネズミがいいな。ある日突然古い友人のハリネズミがひとり訪ねて来る。ハグする前に一言。お願いだから針、引っ込めてね。ハリネズミは言う。もちろんさ。

ハリネズミはモグラの一種だよ。

だからなに?

ではでは、このへんで。