あしながおじさん2

ナイキのジョギングアプリをiphoneに落として同期した。毎日少しずつ気温が上がる。ちょっと前に眼鏡をソフトコンタクトに変えた。体力が着いたらトランポリンカフェに行ってみたい。相変わらず私の愛すべき脳内人格達は遊ぶことばかり考えている。

記憶の流入。そして感情の回復。頭ではわかっているのだが一方では素知らぬ顔だ。そもそもが易きに流れる事なかれ主義の情けなさ。そんな自分がイヤになる。やれやれだ。

診察日から診察日までを死なないで生きる。今の目標はこれだ。私はおそらく主治医への依存が強い。主治医は私のトレーナーのような存在だ。主治医との約束を守ること。死なないでいること。毎日のほほんと生きているようで実際は手を抜けない。初診当時、私はODをした。ところが大量の薬を飲んだ後犬の散歩へ行き、路上で倒れ救急搬送されている。自殺を決行する人格にはなんのためらいもない。さっさと死のうとするのだ。そして記憶は見事に飛んで日常に戻ったらしい。自殺未遂は17歳の時にもあった。そしてその記憶は途切れ途切れだ。注意が必要だ。

昔読んだので(そしてあまり面白い本ではなかったので)忘れているが、筆記療法というものがある。今ふっと蘇ったのだが、ネガティブ記憶の近くには必ずポジティブ記憶があるのだそうだ。記憶の神殿にEnterするときはポジティブ記憶からというのがptsdには必須とあった。一体何を根拠に?とその時は思ったが今回の危機を通してまさしくその通りだと実感している。

あしながおじさんの主人公ジュディーは6月9日に大学一年の夏休みに入った。コネチカットにあるロックウィロー農場へ行くのだが、私の脳内リゾートはここである。えっ!そうなの?とか言う声。DIDって楽しいな。はい、そうなんです。

あしながおじさんは非現実的なシンデレラストーリーといわれることがある。確かにそんな一面もある。貴族や慈善家と捨て子というアメリカ社会のヒエラルキーに反旗を翻すでもなく結婚後のジュディーは大金持ちになるからだ。

しかし子どもの私にはなんの疑問もない。初めてロックウィロー農場へ行ったジュディーが、嬉しさのあまり右の肩越しに新月を見る。良いことが起こるというおまじないなのだそうだが、私はこれがやりたくて新月とはなんなのか、それはいつ訪れるのか、ひとり探求したものだった。

長年6月は、私には特別の季節だった。3ヶ月もの夏休みに入るというアメリカの大学がうらやましかったし、農場への強い憧れはここから始まった。

あしながおじさんを手に取る。

2年目の夏休みには大げんか。

3年目の夏休みはとうとうジュディーはあしながおじさんを無視して、家庭教師のアルバイトをして小銭を稼ぐ。

一筋縄ではいかない子だよ〜。

今無職だし、私も夏休みに入ったことにしようかな。牧場行きたいなあ。牛や山羊や馬、見た〜い。

ジュディーはあしながおじさんに恋をしたけど、私の恋人は身長は普通だった。私は幸福なことにその人と結婚して今もとっても幸せに暮らしているけど、理想の男性と言われたら迷わずリチャードドレイファスというだろうな。彼との出会いは17歳の時に観た「アメリカングラフティ」だ。

ジョーズ未知との遭遇、スタンドバイミー。とにかく彼はキャラが一貫しているから安心なんだよね。

TSUTAYA行って映画借りて来るか。

ではでは。