ウサギのバイク4

デヴィッドテイラーの仕事は多岐に渡る。あるとき大きなシャチが潰瘍性腸炎になり、水族館のプールは真っ赤に染まっていた。飼育員の1人は極度の貧血のシャチの腸内へさまざまな溶液を腸注するその間、その大きな尾びれを持ち上げ続ける。飼育員の決意はかたい。大きな尾びれをバンザイしてただひたすら持ち上げ続けるのはたいへんな重労働だ。シャチの命を絶やすまいというその思いは強い。その姿勢に私は感動したものだ。

またある時は足の関節をダメにした象を安楽死させるという仕事。現代では技術改良が進み、安楽死は短時間で終わるらしい。彼が扱っている時代は長時間かかったらしく、これまた体力勝負となるのだが、専属の飼育員(著者はフリーの獣医である)の男性は慈しみ育てあげ、ともに人生を過ごしてきた象を自分の手で殺さねばならないという現実を受け入れることができない。苦しむ象の訴えるような眼差しに耐えられず飼育員はとうとう作業中に泣き崩れ、別の飼育員が彼を抱きかかえて帰宅させる。

高校生の私が生物室の準備室で教員と話している。私はきっとデヴィッドテイラーの話をしているのだろう。教員は獣医の免許を持っていた。教員は女性は小鳥とか猫とかの小さな動物しか扱わないよ、と言った。教員の妻もまた獣医なのだそうだ。教員はクラスを持たない非常勤のような感じだった。

2年生。私はそれなりの成績をクリアして理系の4大コースのクラスに進んだ。

しかし私の将来の夢はここで終わる。その夏、私は田舎町の外科病院に40日あまり入院した。母は1度だけ面会に訪れた。父は週に1度やって来て着替えなどを届けていた。模試終わったよ、というクラスメートの顔を覚えている。私には他に兄弟か2人いるがどちらも面会には来なかった。中学時代の担任教師、教務主任、高校の世界史の教員、面会は教員ばかりだ。一体どういうことなのか?さっぱりわからない。

私はもう以前の私ではなかった。別の高校へ行った友人と朝まで酒を飲んで二日酔いで登校したことや、朝自転車の前方の路上にたくさんの蛇を見て怖くなり自宅に戻ったこと。母が私の机の引き出しの中の私のタバコをちょいちょい盗んでいたこと。私はそれが不愉快でタバコの銘柄を母の苦手なピースに変えたこと。数学の教員が私にだけ試験問題を事前に教えてくれたこと。世界史の教員が死にたければ今この部屋の窓から飛びおりてみろと社会科準備室で私に何やら説教している風景。なんだかタヌキによく似たまん丸顏の教員だったな。

それにしても当時の私には感情がない。

私の中にはTという交代人格がいて、私は敬意を込めて今ではT氏と呼んでいるのだが、T氏は不屈の精神を持っていて、何度死んでも蘇る。彼はそのあと都合3回生き返るのだが、どうやら人間ではなくロボットなのだ。

ロボットには感情はない。

T氏は誰にも何にも負けない。大学への進学は私の悲願だった。なんであんなに大学行きたかったんだろうな。たぶんあしながおじさんからの刷り込みだろう。当時父と母は国道沿いに新しく店を出し羽振りが良かった。私は母から罵声を浴びせられた。大学なんか金の無駄だ云々。父は少し違った。入学金を出してくれた。私は文系の私立大学へ通い始める。

私はそれなりに自分を貫き始めていたと思うのだ。頑張っていた。母の存在はその当時眼中になかった。私は母を心のどこかで蔑視していた。母もそうだ。娘の私にそれほど関心はなかったようだ。

私はバイトを掛け持ちした。本屋とハンバーガー屋、そして実家の喫茶店へも毎日出勤した。学費をコツコツ貯金していた。真夜中12時頃帰宅し、それから朝まで本を読むこともあった。大学の講義はそれなりに楽しんだ。比較文化論とか、東洋史も楽しかった。週に1度の休日は映画館を梯子した。ロードショーはほとんど観なかった。50人も入ればいっぱいの小劇場が好きだった。私はいつも一人だった。暗黒舞踏に出会ったのはこの頃だ。私は自由だったのだ。誰も私を止められなかった。

一気に書いたけど、まあいいか。ちょっとカッコつけてる〜、という声。そうだね。

さて、今日は夫が休日なので、一緒にランチに行く計画だ。忘れよ。嫌なことみんな忘れよ。そう言って笑うのはelleだ。彼女は19歳の頃に生まれた交代人格。明るくて強い。英会話なんか出来てしまう。そして映画が大好き。

「アメリカングラフティ」をアマゾンで千円でGET。elleは大喜びだ。

朝だ。

朝が来るっていいな。

ではでは、また!