カベルナリア吉田と小関智弘

カベルナリア吉田の本を初めて読んだのは今年の1月。初めての沖縄旅行の直後のことだ。確か沖縄の離島を全部歩いてみたサー、という感じの本で、地図を見ながら読んだのだがこれが時間はかかったけれど読み応えのある良い本だったんだ〜。他のやつも読んでみたいと思ったが私の住んでいる市の図書館にはこれ1冊しかなくて、となりの市の図書館に行ってみたところなんと4冊をGET。次々に読了し、もうこれで5冊目だ。となりの市の何処かに彼の大ファンがいて、図書館にリクエストしているに違いない。カベルナリア吉田は繊細な人だ。沖縄の自然の美しさ、沖縄の日常。そして歴史が語る沖縄ダークサイド。彼の沖縄は紋切りでなく、日々の暮らしの地続きにある。モノローグの語りは軽快で自然体。でもどうして沖縄に住まないのかな?1度会ったら聞いてみたいな。 小関智弘「粋な旋盤工」風媒社はお勧めだ。専門用語が多い。知らないことを調べるっていうのがどうやら大好物らしいねえ。私が幼い頃父は一斗缶を作る小さな工場を自宅の隣に併設した。3歳か4歳の私はその工場の中を一日中ちょろちょろして過ごした。やがて一斗缶工場は鉄筋工場へと変わる。「粋な」にはバイトと呼ばれる刃物を創る時にグラインダーから赤い火花が飛び散る、そんな記述がある。私も幼い頃父の隣でそんな赤い溶接の火花を見ていた。鉄の匂い。膝頭についた砂鉄の粒。工場は田んぼの中にポツンと建っていたから、町工場というのとはまたちょっと違うのかもしれない。懐かしさというよりは怖いもの見たさに似た感情がある。犯人は現場に戻るって言うよね。あんな感じもあるし、なんか忘れて来た何かを取りに戻るって言うと、ちょっとばかしカッコ良すぎるかな。

小関智弘の本との出会いは30歳の頃だ。カベルナリア吉田と小関智弘には共通点があって、どちらもあまりたくさん話す人ではないみたいだ。 カベルナリアさんはとにかく歩く。そしてそれが何回目の旅行であってもいつも何かにびっくりしている。えっ!そうなんだ〜!とかどこでも驚いています。そしてあまり空気が読めないことも多くて、状況に対応が遅れてしまい置いてきぼりな感が否めない。ひとことで言えばもたもたしてる。でもそれがどうやら私にはツボなんだよな〜。彼の世界には人を(私だけ?)安心させる何かがある。 小関智弘さんはもうたいへんな熟練である。今週比較的新しい小関さんの本をちょっと読んでいるが昔のイメージと少し違ってた。昔は技術畑の人が珍しく文学的なものを書くんだなあ、と新鮮なものを感じたものだが、以前より易しく感じられる内容だ。 2人に共通するのはなんていうかな、普段目立たないなにか、見過ごしてしまうもの、たいていの人はつまらないと思いがちなもの、そういうものへの優しい視線かもしれない。読んでいると優しくなれる。優しくなりたいな。優しく生きて行くってテクニックがいることだなって私は思うんだよね。お家で1人本ばっかり読んで過ごしてる私は偉そうなことはなんも言えないけどさ、まずは自分に対して優しくしてるか、とか思うわけさ。 わかんないよね。わかりにくい。うん。でもそういうことなんだ。 何冊も同時に読み進むのは何人かの人格のせいでもある。usaoは技術系、動物系、elleは今はカベルナリア、JPはネットで精神科医療の文献をよく読んでいる。最近回避型愛着障害のなにやらを読んでいたけど、だから?って私は思うよ。基本私は(主人格)は漫画とか、絵の多いものが楽である。ptsdのこと、もっとちゃんと勉強しなかん。というか、そっか、回避型ね、ぐっと頑張ることが時には必要な訳だ。んー。 今日はスポーツオーソリティで夏物のランニングウェアを買いました。トルコブルーの半袖シャツと黒い短パン。明日も走るぞー!BOOKOFFトライアスロンの雑誌も買った〜!マジすか。泳げないのに買うかな〜。いやいや、いつかね、泳げるようになる時が来ると、そういうことですよ! ではでは。