天然芝の歓び

WPキンセラ「野球引込線」という本を読んだのは、その時もう精神科へ通ってたから40歳の頃か。今も図書館の閉架にあるのかな。また借りてきて読みたいな。(いつだよ)(本ならたくさんあるじゃん〜)。「天然芝の歓び」はこの短編集の終わりからふたつ目くらいの話だった。キンセラには「シューレスジョー」という長編小説もあるが、こっちは妙にオカルトぽくてあまり楽しくなかったと記憶している。

「天然芝の歓び」は渋いおはなしだった。こればかりを繰り返し読んだ。野球好きにはたまらない。マニアックな一編と言っていいと思う。DIDの扉はまだまだ続くよ。そうなんです。私達は野球好きなのである。そもそもスポーツ全般を愛して止まない。しかしなんといっても野球なのだ。

「天然芝の歓び」を読んだ時、アメリカと日本のスポーツ文化の違いについて、また、サッカーやその他の球技、例えばバスケットやラグビーなどと、野球というスポーツの違いについてしみじみ考えさせられたのだ。果たして野球はスポーツなのか?とまで考えた。私の人生は今三塁側ベンチなのか?私はいつホームへ戻れるのか?

野球というのは簡単ではない。単純に比較してみてもわかることだが、お友達と野球をしようと思いついたところでそう簡単にはいかないだろう。グラブやベースやバットが必要だ。幼い頃やった記憶がある。三角ベースというやつだ。あれだって飛んでくる球を必ず打つ決まりでキャッチャーを省いたとしても、5、6人お友達を集めないことにはゲームは出来ない。

自分がいつ頃から野球を好きだったのかを覚えていない。川上なんとかが監督をしていた巨人軍がめっぽう強くて、何年間も日本一だった。私が生まれる前の話?いや生まれてた?

大人はみんな野球を好きで、大人はみんな夕方にキャッチボールをするとずっと長い間思い込んでいた。要するに野球好きなおじさん達に囲まれて育ったのだね。

昔父の鉄筋工場で働いていたK君という青年を覚えている。K君は家がなく家族もなく、工場の屋根を改造した中2階に住み込みしていた。朝が苦手なK君を起こしに行くのが私の役目で、足の踏み場もない、敷布団一枚ほどの部屋で白いTシャツでうつ伏せ寝をするK君の背中を揺すって起こしたものだ。K君は当時18歳くらいで、私は6歳くらいだったと思う。

そのK君の枕もとに「巨人の星」という漫画があった。王貞治の実家は中華料理屋さんだということ、プロの選手たちは移動中のバスの中でもつま先立ちでトレーニングをすること、そして大ピンチの時には「畜生、二死満塁ツースリーだぜ」とつぶやくこと。私は「巨人の星」からこうしたあまり役に立ちそうにない幾つかの知識を得た。

野球への関心は年を経る毎に変わっていく。子ども時代はピッチャーにしか興味がなかった。今はショートやセカンドの守備にも目が行く。少し前に活躍した投手がコーチとなり、ピンチを迎えたピッチャーをベンチから励ましに来るシーンも大好きだ。よほどのバッターを揃えた金持ち球団でなければバント要員という選手がいる。代走専門だってすばらしい。メイン審判のお腹の中のボールを補給するためベンチから目立たないように走ってくる男の子。 俗なことだが年棒が幾らだとか、今日この日のスタメンまでの道のりがどうであるなどということにまで興味を持つ。お気に入りの選手の身長を覚えている。私は背の低いバッターがお気に入りだ。ピッチャーはストライクゾーンがさらに低くならないかとそんな時に考えたりする。 最近行ってないがバッティングセンターへも行く。楽しいと思えるまでにしばらく空振りが続く。バットを変えてみたり、左打席に立ってみたり、あれこれやるのも楽しいものだ。キャッチボールでは私は結構厳しくて、主人の投げる球はたいてい向かって左に切れるのでイライラさせられる。若干トルネード(懐かしい)気味に主人に構えてもらい、投げ方も指導します。

生まれて初めて球場で見たプロのゲームを今も忘れない。試合のすべてはピッチャーの手をボールが離れる瞬間にある。あの緊張のために観衆は集まっている。その時私は十分な大人であったが、自閉症スペクトラムにはきつい喧騒だった。

時々空想するのだ。今は何回なのか。裏か、表か。もしも動物をてなづけることが出来れば猛禽類を外野で放つ。どんなホームランもキャッチするだろう。そしてピッチャーとバッターはチームメイトで、私はバッターがどこまでも高くどこまでも遠くへ打ち飛ばせるような、すこぶる速い直球を投げよう。

試合にはあるが野球には負けはない。

そこにあるのはチームの一致とサインへの従順、瞬間の集中と審判のアクション。

DIDは闘いを見過ぎたからね。

ね、頭、おかしいよね。ほんと。