シャンプー

山下久美子「シャンプー」は隠れた名曲ですね。elleはどこでこの曲を聴いたのかな?レコードを買った記憶はないからラジオかな?山下久美子のシャウトする感じの声がよかったな。今も現役で歌っているのかな。

終日山本周五郎「さぶ」を読む。もう百万回くらい読んでいる。1度テレビでドラマ化されたやつを観てからはその時の男優(栄二のほう)(名前忘れた)が結構素敵で読むといつもその男優が喋り出す。調子悪い時に読むとぐっときてしまう。たいていいつも栄二にがっつり感情移入するんだけど昨日は自分がさぶだったり、おのぶだったり、おすえだったりした。

人は挫折するとジタバタするものだ。DIDにはそのジタバタがない。ジタバタがない人生には成長はない。DIDは子どものままの大人である。

診察で「治療云々って本がどうにも苦手でさ」と相談したところ健康ライブラリー イラスト版「解離性障害のことがよくわかる本」という絵がいっぱいの本をすすめられた。気がすすまない感じだったけど図書館でばったり出会ってしまいお持ち帰り。前書きに「表現はやさしいのですが、内容は高度な水準だと思います」と書いてあるのがちょっと粋な本だね。そして監修柴山雅俊とある。この先生の新書買ったのに読めなかったから丁度いいな。

回復のページに何度も「区切る」という言葉が出てきた。区切るって力が要るな。DIDは治療も孤独なものなのだな。

栄二は島流しにされてもっこ部屋でひとり心の中に煮えたぎる強い怒りと対峙する。この小説はDIDについて書かれたものじゃないけれど山本周五郎は上手いな。私も栄二と同じだ。暴れたり、死のうとしたりする人格が怒りとか悲しみとかそういう確たる名前のつく人の感情として区切られ形になるまで本当に長い道のりだった。

人間て怒ったままでは生きてはいけない。よく四六時中くどくど怒ってる人を見かけるけどああいうのじゃなくて、なんていうかな、簡単には許せない、収まりがつかない、導火線に火を付けたダイナマイトみたいな、確実にカウントダウンする時限爆弾みたいな、DIDの怒りは破壊的で本当におっかない。 「さぶ」を読むたび私ははらはらする。もっこ部屋はそんな怒りや恨みを抱えた男達で一触即発なのだ。文庫本「さぶ」の解説を書いている人はいったい何屋さんか知らないけど人はどこまで人を許し得るかなどとたったの一行でひとまとめだ。簡単に書くなよ。そんなもんじゃねえだろう、栄二ならこうだろう。 DIDの怒りが破壊する力なら、DIDの悲しみは拒絶だ。自分が息をしていること、髪や爪が伸びていくこと、そんなことまで疎ましい。解離解離と簡単にいうなよ、あんた酷い目にあったんだ、栄二は私を諭すのだ。……誰?栄二やってるの誰?あたしは負けないよ。あたしにはこれがある。elleはおのぶを演じてる。おのぶは懐に剃刀を持っている。おめえ強いな。……あー、あれ、これなんかBGM山下久美子だったのに江戸時代になっちゃったよ。 ええと、DIDの回復に話を戻そう。栄二はどうやって怒りや悲しみを区切ったのだろう?ひとつには時間だ。もっこ部屋での隔離されたひとりの時間が区切りをつけるのには必須だった。栄二は砂浜で寝転がり幾度となく涙を流す。私も泣いた。人生がめちゃめちゃにされたのはあんたひとりじゃないから……。それにしても江戸時代の何が辛いってそりゃ土間だ。殴られた小僧たち。それから栄二も必ず畳敷きの居間から土間に転がり落ちた。痛みと屈辱だ。DIDもいわば何度も転がり落ちた。DIDはその心に暗い屈辱の土間を持つ。 栄二が区切りをつけるのには隣人の支えも必要だった。私はずっと考えている。栄二は物語の最後でおすえという女と所帯を持つがこの女こそ栄二を破滅に追いやった張本人だ。なにも「さぶ」がDIDの治療に効くとはどの専門書にも書いてないからそんな深く考えることないんだけどさ、私がさぶを繰り返し読むのはひとたび回復した栄二の寛容に底知れぬ力強さを感じるからなのだ。 DIDは過去が苦手だがそれは自分がやってしまった数々の失敗と向き合わねばならないからだ。恥多き人生がぶり返す時、屈辱よりも辛いのはもうそこへ戻れないということや、謝ろうにも手だてがないことだ。栄二の寛容がおすえを許すラストシーンは飛躍してはいても清濁併せ呑む心の豊かさや人間としての幅をリアルに示していて力強く潔い。おすえも弱い人間なのだ。長い間苦しんでいたのだ。さぶはもちろんフィクションだ。だからそんなうまく行くもんじゃない。それはわかってる。 山下久美子はどうしてシャンプーなんて歌詞を書いたのかな。洗っても洗っても清くはなれない、私を苛むのはそんな思いだ。だけど私は少しでも成長をしたい。傷つく心を持ったまま強い大人になりたいな。elleは言う。あたしあきらめないよ。そうさ、私だって負けちゃいないよ。私は微笑むのだ。