症例A

昨日は終日孫の子守りをした。孫は来月5歳になる。かつてはくるくるお目々の赤子だったのが今ではみごとなやんちゃ坊主となった。やんちゃ盛りはちんたら歩かない。かけっこが大好きだ。

私はこのところ眠るのに苦労している。暑い中を駆け回ったらなんだかくらくら〜。近所のショッピングモールに避難してアイスを食べる。それから家電ショップへ行き今いちばん鮮やかで美しく映るという巨大テレビ画面でアナ雪を立ち見した。昼ご飯に豚骨ラーメンを食べたら眠くなってきた。TSUTAYAドラえもんを借りて帰宅。のび太がお決まりのピンチに巻き込まれるころ睡魔に襲われる。気がつくと画面はエンドロールとなっていて孫は私にピッタリとくっついて寝そべっていた。

2、3日前のことだが多島斗志之「症例A」を読んだ。読み終わり少し休んでもう一度頭から終わりまで一気に読んだ。

27歳から35歳までの短い期間私は知り合いの主宰する同人誌に小説を投稿していた。ほとんどが30枚くらいの短編小説で、家事の合間に思いついた筋書きを、子どもたちが寝た後ああでもないこうでもないと書き上げた。当時これらのお話を私の子どもたちがいつか読んでくれるかもしれぬと思うと小説を書くことはとても楽しかった。

「症例A」では2人の女性のDIDがある日突然主治医に対して交代人格が順番にしゃべり出すという劇的なシーンがある。私の場合私の脳内で私ではない誰かが小説を書いていた。

イマジナリーフレンドという言葉がある。交代人格とイマジナリーフレンドの違いはそれがコントロール出来るかどうかということだろう。

小説を書き始めるまでの私は、おそらく瞬時にスイッチングして入れ替わり日常に対処していた。DIDは記憶が欠落すると言われるがむしろすべての記憶は詳細に保存してあって、あるものは固定され、あるものは保留され、交代人格とは実のところ膨大な枚数の記憶ディスクのタグのような役割を果たしている。

小説作業を通して私の脳内はそれまで経験したことのないほどの混沌に陥った。同人誌は同人のほとんどがお年寄りで優しくて穏やかな場所だったから、私の中の孤独や悲しみは解放のサインをもらったかのように溢れ出たのかもしれない。

私は幾つかの点で困惑した。最も困ったことは睡眠不足だ。昼間は家事と子育て。夜は小説。気がつくと何日も眠らないことがあった。もっと戸惑ったのは小説の内容だった。物語は次第に私自身の抱える闇へと突き進んでいく。こんなこと書きたくはない、これはまずい。私は朝になって自分の書いたものをゴミ箱に捨てた。

闇のない人生はない。誰だってどこかで何かにつまずき、涙してそれを乗り越えて生きてゆく。

ところが当時の私には悲しみや怒り、攻撃、復讐とタグ付けされた人格が、コントロール不能に支配する尋常でない憂鬱な夜がやって来る。

そして健全さは私にも宿っていた。私は体の不調に悩まされ始めた。痛みや違和感は体の声だ。大学病院に検査入院した私は同人誌を脱会し、書き溜めた小説を処分した。

精神科に通うようになり、自分がDIDかもしれないと認めることがむつかしかったのは何故だろう?わかってもらえないかもしれないが、私は今だに自分の中の交代人格たちが怖いのだ。その心を怒りで満たし、復讐に燃えた存在。

「症例A」のDIDはびっくりするほど治療に没頭しているがそこはやっぱり小説だ。もしも人の日常のすべてが自分ではない脳内の誰かにころころと支配され続けるならあっという間に参ってしまうだろう。もちろん私もかつては毎日を寝たきりで過ごしたそんな辛い時期もあったけど、そうだったけどそんな時だってなんやかんや変化はあった。そんな変化をもたらしてくれたのも交代人格たちだったのかもしれないが。

生きることは素晴らしい。

生まれてきて本当に良かった。

今はそんなタグを脳内に探している。

ゆうべはロヒプノールのみました。

寝ないと老け込む一方だ。

こんどはドラえもん最後まで一緒に観なきゃね。