小説 丘の上から ①秋の章 2

縄張りとかテリトリーとか、ペットショップで生まれた僕にはピンとこない。

ジョージ・ピーターズは博学でリスについてはリスである僕自身よりも詳しかった。彼は極力むつかしい専門用語を避けてはいたけれど、話のほとんどは理解が出来なかった。僕はリスが本来どうあるべきなのかなんて考えたこともない。冬眠のことだって正直知らなかったのだ。

「そんなに長い間眠ってしまって、大丈夫なんですか?」

僕はジョージ・ピーターズに尋ねた。

彼はぴかぴかのメタリックフレームの丸メガネをはずすと目頭を指でつまんで、ちょっとのあいだ目を閉じた。そしてもう一度メガネをかけ直して僕を見て言った。

「居住環境なんだよ」

ジョージ・ピーターズの瞳は顔の深いところにあって、その瞳のもっと奥にはなんだかわからないけれど力強さがあった。彼は怖い人かもしれない、と僕は反射的に思った。

「今のようにこの森の中で冬を過ごすつもりなら君の体は低温と食糧不足にきっとたえられないだろうね。春までの長い睡眠は命を長らえさせるための手段のひとつさ。もちろん体は少しスマートになるかもしれない。なにも食べないんだからね。その代わり寝てばかりで過ごすからエネルギーの消費も少ない。心配はいらないよ。だけどそうだな、たとえば森ではなくて、もっと暖かい、この家の中のような室内で冬じゅうを過ごすことができるなら」

ジョージ・ピーターズが話していると突然電子音が鳴り始めた。彼は胸ポケットからiphoneを取りだすと僕にひとさし指をかざしてウインクし、咳払いして電話の相手としゃべり始めた。

僕は冬眠について考えたけれどやっぱりうまく考えをまとめることは出来なかった。毎日毎日日が沈んでも眠くならないのだ。たったひとり木のウロの中で朝を待つのはゆううつだった。そんな自分が何カ月間も眠り続けるなんてイメージすることは不可能なことだった。

電話の相手は彼の患者のようで、診察日がどうの、予約がどうの、それから先は相手が長々と話し続けていて彼はうなずくばかりだった。

「すまなかったね」

電話が終わり、iphoneを机の上に置くと彼はもう一度僕を見て微笑んだ。一瞬怖いと思ったあの瞳ももとの柔和なまなざしに変わっていた。僕は安心して、どういたしまして、という風に肩をすくめた。

 

 

(だましたわけじゃないんだよ)

診察が終わり、散歩から帰ったフライデーは僕を両手で包んだ。いや、いいんだ。僕は首をふった。ちょっとびっくりしたけれど結果オーライさ。僕たちはジョージの家を出て森の中を歩いた。

(それで、この袋の中身はなに?)

フライデーはジョージ・ピーターズが処方してくれたクスリの入った茶色い紙袋を僕の代わりに持ってくれていた。なんか知らないけど毎日これを食べるようにって言ってたよ。アーモンドとカシューナッツは確かに美味しくてそれなりにエネルギー源にはなるけれど、ビタミンやミネラル、って言ったかな、なんかそういうの、そういうのが不足すると眠れない、っていうことらしいよ。だからこれ、ペレット、っていうらしいけど、ペレット、これ毎日食べろってさ。

フライデーは紙袋を覗いていた。

(そうかあ。しばらくはアーモンドとカシューナッツは禁止だって言ってたね。うん。これなかなか美味しそうじゃないか。へえ。どんな味かなあ)

僕は疲れて帰り道も途中からフライデ―の首の中で眠った。その日僕たちはヒマワリ畑へは行かず、フライデーは僕を木のウロに送り届けると森の外へ帰っていき、僕はベッドにしている干し草の中へ倒れこんで眠りに落ちた。

それから数日後のことだ。

ペレットが不味すぎて食べられず絶食状態が続き僕はふらふらになっていた。フライデーはジョージの許可を得てメープルシロップを一瓶持ってやってきた。

僕とフライデーはなんかの虫の卵みたいな形をした薄緑色のペレットを数粒、サルトリイバラの葉の上に並べた。フライデーがその上からたらたらっとメープルシロップを垂らした。

メープル味のペレットは悪くなかった。ペレットを食べる僕を見てフライデーは笑った。そんなフライデーを見るのが僕はなにより嬉しかった。(つづく)