小説 丘の上から ①秋の章 6

僕はフライデーが美味しそうにサンドイッチを食べているのを見たことがある。

フライデーはキュウリのサンドイッチが好きだと言っていた。少しのバターとキュウリ以外は何も入れない、これが美味しいのさ、サンドイッチを食べながらそんな話をよくしたものだ。それから僕たちは森を流れる沢の水を一緒に飲んだ。僕はフライデーの肩の毛にくるまっていると温かい彼の体温を感じることが出来た。フライデーは笑ったりはしゃいだりした。走りこんで息が切れた僕たちは枯草の上で寝転がった。高い木々の枝の切れ間から見える鉛色の空が好きだとフライデーは言った。

「ロボット?」僕は混乱した。

「フライデーを作ったのが誰なのか、それはわからないんだ」ジョージは言った。

良心機能において特化し、その主な働きは対象物の保護。ジョージが説明しているとエルが口をはさんだ。

「つまり、もともとね、ああしろこうしろって誰かが命令しないと、あの子はなにやっていいか自分じゃひとつも判断できないのよ」

「そしてこのところ顕著なのは行動回路の損傷だ」

しかめつらの僕を見たエルが言う。

「マリが消えちゃったからフライデーは今毎日なにやっていいのかさっぱりわかんなくなっちゃたわけ。掃除したり、窓拭いたり、あれこれやりたがるけど、結局なんだかとんちんかんになってお店はめちゃくちゃ。後始末がたいへん!」

「お店?」

「マリの店よ。知らないの?」僕はうなずいた。

「そして感情の制御不能」ジョージは続けた。

僕はエルを見る。

「泣いたりわめいたり、まるで子どもなの。すごく暑い日でもジャケットを脱がないし、すごく小さなことにこだわるの。ミルクを温めすぎだとか。前はそんなわがまま絶対言わなかったわ」

「問題は」そう言うとジョージは肩で大きく息をして押し黙った。

希死念慮だ」

「きしねんりょ?」

「死にたくなっちゃうっていうことよ」エルは立ち上がりハウスの中を落ち着きなく歩きまわり始めた。

「馬鹿よ、馬鹿なのよ。放っておいたってみんないつか死ぬのよ。バッテリーが切れて、手も足も、体中が古ぼけたポンコツになるわ。私だってもう間もなくよ。もうすぐなのよ。ふん」

エルはテーブルからサングラスを取り上げると胸をはった良い姿勢に戻った。

「パスタ美味しかった、ごちそうさま。フランクリン! ちょっと呼びにくい名前だけど悪くないわ。名前もあなたも。バイバイ」

エルはハウスを出て行った。僕にはエルが微笑んだように見えたがその表情は人形のようにつるんとしている。

みんな死ぬ?

バッテリー?

僕はまた少し混乱した。

 

 

 

「帰ります」僕がそう言うとジョージとうさおが同時に僕を見た。

「そのことなんだが。ああ、そうだ、しっぽはまだ痛むだろう」ジョージが言った。うさおはずっと黙っている。僕は小さく何回かうなずいた。

「不眠はどんな感じ?眠れそうかい?」

「いえ、まったく眠れません。あの日も、夜中に急に走りたくなって森を駆けまわっていたんです。スズカケの木に登ったことはぜんぜん覚えていません」

「それはリスに特有の繁殖行動なんだと思う。秋になるとやってくるリスの習性さ。君の内部に自分の縄張りを広げたいという衝動が起きているんだ。どうかな、うーん、つまり、そうだな、たとえば誰かを思い切りぶん殴りたいって、そんな気持ちになったりはしないかい?」

ジョージは僕のために易しい言葉を選んだのだろう。僕は失笑した。見るとうさおも笑っていた。僕はちょっと安心した。そしてそんなことはありません、と首をかしげた。

「築百年なんだ」うさおがマリの店の話を始めた。

お店は丘のてっぺんに建っている。取り囲むように広げた手作りのガーデンでは秋バラがちらほらと咲き始め、西側の駐車場のアプローチは萩やススキ、キツネノカミソリ、紅白の彼岸花が満開なのだそうだ。テラスのある東側はエリカが群生していて、冬の冷たい風が吹くと赤いエリカの小さな花が一斉に開くのだという。

「ロフトがフライデーの部屋なんだよ。毎日毎日丸窓から海岸を眺めてる」

「……海が見えるんですか?」思わず僕は身を乗り出した。

うさおは満面の笑顔で大きくうなずき、僕に手のひらを差し出した。うさおの手のひらにはオーツ麦があった。僕はうさおの手でオーツ麦を食べた。食べたといっても頬袋に詰めただけだ。オーツ麦はほっぺたの中でいつまでもごろごろしていた。

温かい部屋の中で暮らすリスは冬眠をしない。もともと僕は眠れないのだから冬眠にはこだわってはいなかった。僕はフライデーにも会いたかった。僕はうさおの車でマリの店へ行くことに決めた。車に乗った僕はその振動とエンジンの音にものすごくびっくりした。とはいえうさおのシトロエン2CVは馬力はそれほどでもないらしい。車内には嗅いだ事の無い香りが漂っていた。インパネの上に無造作に置かれたカモミイルの束からその香りは発せられていた。

「ちょっと寄るところがあるんだ」

うさおの2CVは小道を森の奥へと進んだ。でこぼこ道で僕は何度も宙に浮いた。それを見たうさおが運転しながら片手で僕をジャンパーのポケットにぎゅうっと押し込んだ。(つづく)