幸せの黄色いハンカチ

昨日生まれてはじめてスケートボードに乗った。スケボーだ。無料動画でHow to を頭に叩き込み、怖々やってみた。テールに足の裏を密着させる。体重をかける。立ち上がったノーズを左足で押さえつけるようにして着地。バランス。左足裏をノーズから離す。降りる。まずはこの繰り返しだ。

何度も何度も繰り返すうちに思っていたよりもボード扱いはむつかしくないとわかる。めちゃめちゃ勇気を出してプッシュスタートで走り出してみる。進むではないか。スピーディだ。慣性の法則である。ノーズ部分の膝と足首を固定して、とにかく滑る。おーおー。いけるいける。

世の中の50代のおばさんはまずスケボーに乗りはしない。なんで?なんでまた、と三女は呆れる。スケボーは三女の婿の借り物だ。

私だって自分がまさかこの歳でスケボー遊びをすることになるとは思ってはいなかった。そもそもの始まりは去年の1月の沖縄でのスノーケリングだった。

私は海に取り憑かれたのだ。

それ以来海は見るだけのものではなくなった。大波のうねり。私はサーフィン体験を決意した。サーフィン小説、サーフィンHow to。サーフィンのあのシルエットが頭から離れない。もちろんそんなこと忘れようと努力もした。忘れることとは案外むつかしいものだ。どうしたら青い海のあの波のうねりを脳内から除去出来るのか?

ママ死ぬよ。

三女が言う。

わかってる。

スケートボードはサーフィンの訓練になるらしい。体幹を鍛えるのだそうだ。プッシュスタートをクリアした私は行ったり来たり。汗をかきはじめる。確かにきつい。まだまだ鍛えねばならない。ただアスファルトを滑っているだけなのに全身がクタクタになる。

こうすると転びます。無料動画でおじさんが転んでみせてくれていた。このスタイルは駄目。よし、いけるぞ。無料動画のおじさんは46歳だった。

夜、親族で夕ご飯。なんで?なんでスケボー?娘たちは繰り返す。サーフィン?やめてよ。無理だよ。

わかってる。

私は私の脳内の滑り始めたなにかをいつも止められない。昔からそうだ。進行するのだ。とにかく進んでしまうのだ。

あのさ、いいんだよ、別に。最終的にサーフィンは出来なくてもさ。ごっこだよ、ごっこ。

骨折したりしないようにしなきゃ。迷惑かけないようにしなきゃ。そういうことはわかってるんだよ、ちゃんと。

高倉健が亡くなった。

ここ数日「幸せの黄色いハンカチ」が脳内で再生されている。

自分、不器用ですから。

健さん。お疲れさんだったね。

自分、不器用ですから。

私もまた、そういう覚悟である。

スケボー乗るよ。

サーフィンを目指すよ。

命がある限り、生きる限りこの波を止められはしないのです。