マガジンハウス 疋田智「ものぐさ自転車の快楽」

若い時、二十歳のころ、どうしても欲しいものが幾つかあった。イッセイ三宅の新作Tシャツ、レイモンド・チャンドラーを全部、モンブランの万年筆。だけど1番欲しかったのはひとりの時間だった。それでバイト先と両親、東西南北から嫌われ者になって休暇を取り、ひとり旅に出た。

しかしあっという間旅は折り返して帰路となり、私は日常に戻った。

ひとり旅は有益だった。時々こうしてひとりの時間を持つことは絶対に必要であるという確認となった。

ひとりで家を出る。ひとりでバスに乗る。電車に乗り宿に泊まる。それは単なる移動であるが移動こそが生きている証しであると錯覚を起こすほど、一人きりで動くということは今でも私を元気にする。

それがゆき過ぎたのだろう。街の中で群衆に紛れているにもかかわらず私は一人きりなのだが。

まあゆき過ぎた証しにこの一人きりの感覚がたいへん心地よい。

先日主人と一緒に自転車で片道28km、3時間かけて街へ出た。

DAHON Boardwalk D7だ。

乗れば乗るほど体に馴染む。こんなに自転車って乗り心地の良いものだったっけ。

主人は手袋を買ってくれた。ギュっと握ったらダメなんだよ、と長女も言う。しかしどうしても私はハンドルを力いっぱい握り、相変わらず戦闘モードで走り出す。手袋は邪魔だ。冷たい指先で凍えながら何かを切り裂くようにして進む。

細かった川が広々とした河となりやがて国道と交差する。私たちは活きのいい小魚のように土手の道から国道沿いへと踊り出した。

疋田智は本の中で「自転車に乗っている時バランスを保つための小脳は働くが大脳は休む」と書いている。

そうかな?そうでもないよ。

国道を猛烈に走り抜けるクルマたち。信号機の点滅。飲食店、中古車屋さん、カラオケ、居酒屋、皮膚科、整形外科、内科、産婦人科。定期的に現れる公園と遊歩道。野山ではない人が住み人が掻き回しているエリアのすべてが脳にビュンビュンと飛び込んでくる。

どれだけ漕いでも小径自転車は加速が効かない。ハンドルを握りしめゴルゴサーティーン並みの厳しい目付きで街中をまあビクビク進む。一匹の鼠。

高架だ。西に向かっているということだ。ここで南下。渡るよ、付いて来てよ。

速度が遅くすぐに離れてしまい迷子になる私は主人の前を走らされている。先頭を切るのはやはりいい気分だ。ふと振り返ると主人がすぐ後ろにいる。ぶつかるではないか。もっと離れてよ。いや、あなたが遅過ぎるんです。

あ、あれは!

家を出て3時間。ようやく目標地点となる建物が現れた。

大丈夫かな?

うん。営業してる。ちょもらん麺。

あー、もうお腹ペコペコだよ。カレー食べよカレー。

ちょもらん麺はカレーライスフリーのラーメン屋だ。ちょもらん麺。ネーミングがゆるいよね。主人は豚骨。私は海老まぜそば。カレーライス辛い。美味しい。

それにしても自転車漕ぎ過ぎたね。足がもう犬かきみたいな動きしか出来ない。いや歩きにくい歩きにくい。

満腹で歩道へ出るとポールにくくりつけた2台のDAHONが可愛く待っていた。待たせたね。ダーシー。ダーシーって何?いや、私の自転車の名前だよ。これ、ロバなんだ。本当はロバなんだ〜。

あかん、自転車漕ぎ過ぎたね。