真島昌利「アンダルシアに憧れて」

沖縄から帰った親戚がウォーターケフィアグレインを持ち帰ってきた。もち米のお粥のような半透明な粒つぶが小さなジャムの瓶の水道水に浸されている。呼吸するらしいよ、キッチンペーパーを頂戴。親戚が指示するままにとりあえず蓋をして冷蔵庫に納めた。

夜、沖縄の友人に電話で扱い方を尋ねる。うーん。ようわからんがとにかく黒砂糖を混ぜてあらたに瓶に詰め替える。全行程終了後、ステンレスのザルはあかん、と連絡が来るがもう遅いよう。ハイパー乳酸菌たちは死んだか。翌日見ると小さな気泡を盛んに出している。生きているということか。

モンゴルやスリランカにもこれによく似た乳酸菌グレインが存在するらしい。この乳酸菌たちは少々手荒な扱いにも耐えるようだ。乾燥させ保存もできる。とはいえこの菌たちの出身は日本ではない。果たして生きていけるのか。気泡を見つめる。

ブルーハーツつながりでマーシーの「アンダルシアに憧れて」を聴く。無計画で軽薄な若い男だ。ホームにカルメンを待たせている。そして命を粗末にしているのでは。マーシーが歌うとなんだか許せる。マッチは。うーん。

女を待たせてでも優先せねばならなかった組織の義理。男の世界はややこしい。ふと浮かんだのは山本譲二みちのくひとり旅」だ。

この歌は深い。ここで一緒に死ねたらいい、と言いはするが女は結局付いてはいかない。実は付いて行く気など無いのだろう。男も夢で会えたらなどとあっさりしたものだ。オマエが俺には最後の女、と言うがここでは「もう女はこりごりだなあ」と言ってとっとと逃げて行く男の姿が見え隠れする。それでいい。身の丈にあった毎日を送るがいい。生涯ひとりを貫くとはじつは選ばれし者の特権なのだ。

ひと昔前、バイト先のフロアー係りの女の子が夜お店から消えてしまった事件があった。その時わたしはカウンターで洗い物をしていた。彼女は目の前でいそいそとサロンをほどき、シルバーの上に畳んで置くとバッグを抱えて出て行った。そのあと駐車場では轟々とトラックのエンジン音した。

彼女は常連の長距離トラックの運転手の助手席に乗って一緒に行ってしまったのだ。なんとなく胸のうちを聞かされていたわたしは行きたければ行けばいい、と止めることはしなかった。彼女は子どもは居なかったがごく普通の主婦だった。

女は結構行動する力を持っているものだなと感心した。

「アンダルシアに憧れて」で不完全燃焼、「みちのくひとり旅」で逃げ足の速い男の歌を聞かされて少々嫌な気持ちになったあと、北島三郎「兄弟仁義」を聴く。

俺の目を見ろなんにも言うなと歌う。

なんにも言わなくてもいい間柄というものに昔から憧れている。いいなあ。いつものことだが島倉千代子の「兄弟仁義」も続けて聴く。枯れているなあ。味があるなあ。上手い。今日ちょっと島津亜矢のやつも聴いてみた。おお。凄い。島津亜矢はウシ科ウシ目に違いない。力強い。大好きだあ。

長距離トラックの助手席に乗って行ってしまった彼女は5日後には帰って来た。トラックの下関までの往復がどうであったかなどと語るでもなく何食わぬ顔でお店のフロアー係りに復帰した。普通の主婦に戻っていた。

ハイパー乳酸菌たちはプツプツと音無き音を出している。

ドラマチックは結構飽きが来る。

ウォーターケフィアグレイン・フロム・コーカサス

乳酸菌たちは可愛いな。

いいからいいから。

俺の目を見ろなんにも言うな、だからさ。