長尾智子「ニュー スタンダード ディッシュ」

若い友人が東京土産の黒胡椒たっぷりのおせんべいを持ってやって来た。彼女はわたしの友人だが無償で孫に英語を教えてくれる。孫は彼女の大ファンで玄関先で出迎えからして「hello❗️」である。

彼女はニューヨーク、インドネシアで若い時代を過ごした帰国子女である。真面目な人だ。そしてあまり話さない。数日前に東京で新大久保へ行きコリアン料理を食べて来たのだが料理名を忘れたといつまでもiPhoneで検索を続けている。

それは茹でた豚?焼いた豚?

茹でてあった。‥‥あ、ポッサムだ。

ようやく彼女に笑顔が戻った。

最近何に凝ってるんですか?

今度はわたしが脳内を検索する。沈黙。すると長女がママはワカモレばかり作ってるよ。そうだ、そうそう、メキシカンね。そうなのだよ。わたしは笑顔でうなづく。

グワカモーレですか?

なぬ?発音が英語過ぎるぞ。ワカモレでええやないか。ここは突っ込む。そしてたいていは何か面白いものを食べたいね、みたいな話でわいわい盛り上がる。

夕方なんとなく読みたくなって長尾智子の本を探した。「ニュー スタンダード ディッシュ」。97年初夏とあるからもう17年も前の本である。

本が好きで本屋も図書館も大好きだが本を買うことはあまりない。眺めていて素敵な本はたいてい高価である。今は無職で稼ぎも無い身の上だ。分不相応な買い物はしたくはない。

「ニュー スタンダード ディッシュ」は懐かしい。脳の不調が始まって間もない頃だ。手元にあるってえことは買ったということか。買った日のことは何も覚えていない。

とにかく具合が悪かった。仕事中ふっと意識が遠ざかる。そして睡魔。疲労感。わたしを呼ぶ声に幾度も振り返る。庭先を走り去る人影。

子ども?

解離発作だった。内科の主治医の真剣な表情。カイリ。耳慣れない言葉が脳内を巡る。

そして精神科受診。方々に謝りの連絡を取りつつ次第にわたしは孤立して行く。

もともと本を読むのは得意ではない。写真のように文字を読んでしまう。だから1頁にカラー写真、その横に数字と漢字、平仮名、カタカナなどが散らばっていたりするとお手上げとなる。ページをめくる。そこに文字だけ、写真だけ、そんなリズムが楽である。

「ニュー スタンダード ディッシュ」をぱらぱらとやる。

トマトのスープ。材料はトマトと水、ローリエ、塩。

わたしはゆっくり目を閉じる。

思えばあれから長い休暇を貰っている。トマトだけだよ、ね、簡単なこと。ページを通して長尾智子が語りかけてくるかのようである。

ロヒ効いてきたみたい。おやすみなさい。