ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 第1楽章,Op.78

Mとわたしは学年は一緒だったがMは一浪していて年齢はひとつ上だった。そのせいか気が付けばMはわたしを呼び捨てで呼んでいた。

大学一年の春、文学部のわたしと経営学部のMが会うのは映画研究会の部室以外では法学だけだった。出席しなくても単位がとれ売店で授業ノートも売っている、そんな楽な授業として知られていたその教授の教室はとても広い講堂だった。しかし学生は半分くらい。わたしはその曜日はフルで授業を入れていたし教授の話も結構面白いので欠かさず授業に出ていた。

Mはたいていわたしの真後ろに座りオイとわたしを呼ぶ。博多出身のMのオイにはどこか笑っているようなふざけているような南方の訛りがあった。授業が昼で終わると必ずふたりで映画研究会の部室に歩いて向かう。貧乏学生のMとわたしは滅多に学食などには行かず部室のベンチでクリームパンやソーセージパンを並んで食べた。

まあ俺にはよくわかんねえんだけどな。Mが何かを話し始める。まあ損か得かじゃねえんだ。Mは小銭を出して授業ノートを買うよりも授業を聞く方がいいと主張した。けして真面目ではない。よもや秀才肌でもない。それに授業中はずっとMは絵コンテを夢中で描いていた。

Mはわたしを愉快にさせる何かを持っていた。我々は何を買い何を着るかという華やかな女子トークが当時のわたしは苦手で近づいてくれるクラスメートも次第に減っていく。法学は一週間に一度しか無かったけれどわたしはMとは誰よりも沢山話をしたかもしれない。

Mは映画の話ばかりを続けるのだ。ほとんどが聞いたこともない名前の外人の監督や俳優だった。たまにロードショーを観るくらいのわたしが映画研究会などに居るのは場違いな気がしていたがMの話はわかり易く愉快で、気がつけば休日はMが観よと勧めた映画を観るのに忙しくなっていた。

Mには不思議な人望がありヘラルドの重役の息子と知り合いでその男から貰ったという映画館の無料チケットをたいてい何枚か持っていてわたしにもホイホイとそれをくれた。Mと一緒に映画を観に行ったことは一度も無い。わたしが誰かと一緒に映画を観れないと言うとMはかえって喜んだ。口角を上げ細い目をもっと細めてニンマリと微笑んだ。

夏が来てわたしは大学を休学した。夏休みにMが監督を務める自主制作の映画の撮影がスタートすることは知っていた。Mは勝手にわたしを記録係としてスタッフに加えていたのだ。まだ一年生のMがどうして監督などに抜擢されたのかはわからない。初夏の頃、やっぱり大学辞めるわ、と言うとMはむつかしい顔をしてわたしをじっと見た。知識も経験も無いわたしを記録係などにしてくれたのはMのわたしへのメッセージだと思えてそれだけで何と無くわたしは嬉しかった。

翌年の春にわたしは復学してMと再会した。悩んだけれどもう1度一年生をやり直そうと思いわたしはまたあの法学の授業を選択した。広い講堂も半分しかいない学生も変わって居なかったけれどわたしを呼ぶMの姿はどこにも無かった。Mはニ年生になっていた。

その年わたしはほぼ毎日昼休みに映画研究会の部室へ通った。書ききれないが楽しい友人たちに囲まれ、馬鹿な話も沢山した。Mに会ったら話したい、Mになら話せそうだ、そんな何かがわたしの中で行き場を失う時にはMの姿を部室内に探したりしたし、タイミングが合えば何時間も話し込んだりした。

Mが言う。

よく見ろ、とにかくよく見ろ。

音が聴こえてくるやろ。弦楽器だな。そうだエンドロールはブラームスがいい。

わたしが結婚することになりそれがすぐに噂になりMはわたしが事情を話す前にそれを知っていた。翌年の春に結婚式をした。式には映画研究会の友人たちを何人か招待した。Mがウェディングドレスを着ているわたしの近くにやって来て一本のカセットテープを手渡す。Mは特に何も言わなかった。

忙しい1日が終わりわたしはMから貰ったテープを聴いた。わたしはまだ実家暮らしで身辺はざわついていた。 Mのテープには10曲くらいの洋楽が入っていた。わたしはそのテープを引き出しに一旦入れたが思い直してテープを分厚い白い封筒と一緒にゴミ箱に捨てた。一緒に捨てた封筒は下手くそなMの手書きでわたしの宛名が書かれたわたし宛の手紙だった。

それは休学中に貰ったものでわたしはそれに大いに励まされ、それを読む度に何が何でも生き抜こう、ここを突破しようと覚悟をした。

Mは手紙のはじめになんだかわからない変な日本語で季節の挨拶を書き、そののちは俺はこんな映画を撮るとあり、シーン1波の音、歩く女、ひらひらするスカート、色は黄色などと映画の字コンテを続けていた。それは便箋3枚に及ぶ映画のオープニングだった。そして封筒の裏には自分の処番地の横に小さく早く戻って来いとある。式当日のカセットテープは自作映画用に選んだサントラだろうとわかった。Mはずいぶん前から作ってあるんだよ、と言っていたのだ。

ありがとうM。

わたしは嬉しかった。

だから捨てたんだな。パトリックがわたしを見ている。父と母と対立し実家を出て行くこと。そしてお腹の子どもと夫とともに平凡で温かい家族をスタートさせると決めたのだ。わたしの映画はわたしが自分で撮るよ。今から始まるよ。わたしはそんな思いだった。

エルが消えて沢山の記憶が蘇る。Mとの別れは辛かった。DIDは何処でも保護者を求める。わたしはあの年、Mに守られていた。Mが映画で使いたいと言っていたブラームスのバイオリンソナタを昨日思い出しYouTubeで聴いてみた。

Mの笑顔が蘇った。