ラブユー東京スポーツ/なぎら健壱

昨日午後いち、なんとなく可愛く焼けたライ麦パンを一本紙に包み手提げ袋に入れ、知人宅へ出かけた。良かったらライ麦パン食べませんか?とだけメールするとありがとう、と返事。よし。ちょっと行ってくるから。夜勤明けの主人は秀吉のドラマに夢中だ。天下統一頑張ってくれ。

待ってたわよ。白髪の婦人が笑顔で出迎えてくれる。猫見る?わたしは玄関ではなく庭先へと案内された。けして広くない庭だが高麗芝がきちんと刈り込まれ向こうの庭の果てには楠がすでに夏の落葉を始めていた。

いらっしゃい。ご主人さんがわたしのためにパラソル付きのテーブルセットを支度していた。わたしはライ麦パンを手渡し促されるままベンチに腰掛けた。ドウダンツツジの若葉、花の終わったこぶしの葉、ドクダミホトトギス。わたしが庭の緑を順番に眺めているとキジトラの猫がトカゲを追いながら側にやって来た。おい、食べるんじゃないか。年配のご主人は猫が苦手。そうね、きっと食べるわねえ、と婦人は笑って応える。

シェムリアップは都会ですねえ。わたしから話を切り出した。でもまだまだ停電なんかがしょっちゅうあるみたいですね。ご主人はスライスしたライ麦パンにカンボジア産の椰子蜜を乗せてぱくぱく食べながらカンボジアの電気はタイから買っているということ、それで電気代がとても高いことなどニコニコと説明してくれる。

椰子蜜食べた?婦人が言った。はい。YouTubeで作ってる動画見ましたよ。あら、見たの?凄いでしよ、ハエ。でもわたしたち平気よね。婦人も椰子蜜乗せライ麦パンを食べ始めた。美味しい、美味しいわーこのパン。わたしは俯いてお茶を啜った。キャラメルの味がする。ふと見れば急須が妙ちきりんである。縦長。ベトナム製か。尋ねるとシェムリアップで買ったのだという。

どうしてカンボジアなの?ご主人が言った。わたしは即答出来ない。首を傾げ深呼吸した。

長四角の渦巻き。突然わたしの中の誰かが言った。

え?

ぐるぐるって。途中でジグザグ、先っぽがまたぐるぐるって。クメール語、面白い。フライデーだった。フライデーはその後も屈託なくご主人と会話を続けた。わたしたちは笑い転げる。トカゲを見失った猫がこっちを見た。

ポル・ポトの話から道路の砂埃まで会話が途切れない。

辛いものは食べられる?婦人が言った。わたしも主人も大好きですよ。わたしはやっと顔を上げて言った。

3月かしら。うん、そうだな、いや、11月、まだ今はすぐにはわからないが8月にははっきりします、行きましょう、是非一緒に。

了解しました。

帰り道、なぎら健壱東京スポーツの歌がリフレインする。

わたし決めたんだよ。とにかくここから抜け出すって。まずカンボジアカンボジア行ってそこで考えたっていいでしょ。

仕様がない、一緒にいきます。パトリックが言った。主人にはもう何日もカンボジアの話ばかりしていたのだ。カンボジアと日本を行き来している知人と連絡をとり、今日ミーティング。

ほっかのところじゃ受け付けぬ〜。なっにがなんでもカンボジア〜。

東京スポーツの替え歌を作ったよ〜。

大丈夫か?

パトリックが言った。