木彫り熊紀行④~口笛は何故、遠くまで聴こえるの

ぺザントアートという聞きなれない言葉がある。農民芸術。ネットで検索すると「名もない農夫が鼻歌を歌いながら丹念に仕上げ」などとある。上手い表現である。ぺザントとは小作人。田舎に住む農場労働者を指す。

昔占い師をしていた頃、造形大学の女の子たちを何人か常連客に持っていた。女の子たちはアートとは?はたまた人生とは?時に雄弁に、日によっては溜め息交じりに語ってくれたものだ。彼女たちの悩みは尽きない。人生を芸術的なものにしたいなどという子もいた。野心と物欲。その背後にあるものは常に誰かに受け入れられていたい、大丈夫だと認められ、笑顔で安らいでいたいという、人間なら当たり前の切ないこころの願いなのかもしれない。

ぺザントアートという言葉は素敵だ。わたしはさもしい先入観を持っている。アートはアーティストがする仕事。これは自動思考。きっと長年そう考えてきたのだ。もしもある日、とある畑のおじさんやおばさんが何かおしゃれなものをこさえても、その日からその畑のおじさんやおばさんがアーティストと呼ばれることがあるだろうか。いやおれたちはそんな上等なもんじゃねえさ。ぺザントアートという言葉にはそのような市井の人の慎みがある。わたしはきっとアーティストと呼ばれる人、またはそう自称する人がちょっと苦手なんだなと思う。

八雲の木彫り熊の第一号は1924年、大正13年、酪農家の伊藤政雄による熊であると年表にある。この年には八雲農村美術工芸品評会が開催された。3月のまだ根雪の解けぬ頃、八雲小学校の講堂には竹細工、刺しゅう品、木細工、粘土細工、わら細工、そして熊以外の木彫り細工など多くの作品が出品された。どんなものが並んでいたのか。会場は賑わったのだろうか。この時より三年後の1927年、酪農家伊藤政雄の木彫り熊が北海道奥羽六県連合副業共進会で一等賞を獲得すると八雲の男たちに木彫り熊ブームが到来する。

八雲町の資料館には撮影禁止のバッテンマークのついた木彫り熊がいくつもあった。

わたしはスケジュールの都合で二日間しか資料館へ行くことが出来なかったがとにかく熊たちを見つづけたのだ。あとで調べたら調査をすると言えば写真撮影は許可されたらしいがうつむく熊、歩く熊、立ち上がる熊、逆立ちをする熊、お座りをして微笑む熊。机に向かって授業を受ける熊たちとなにやら黒板を棒で指している先生の熊、その手に様々な楽器を持ちオーケストラを演奏する熊たちとセンターで堂々と指揮者をする熊。スキーをする熊(直滑降~)、おそらく雪の斜面を滑り降りている様子なのだがストックは持っておらず両手を軽快に前後に揺らしてバランスを取る熊(……スケボー?)。

ひとつひとつの木彫りのテクニックがどうのこうのと評価をする審美眼がわたしにない。ただ言えることは創作が自由なのだ。のびのびである。木彫り熊講習会が公式に開催され、木彫り熊研究会が立ちあげられたのは1928年とあるから酪農家伊藤が一等賞を取った翌年八雲の男たちはかなり乗り乗りにいくつもの熊を彫っていったのだ。義親が雄雌二頭の赤ちゃん熊を事務所で遊ばせ始めたのもこの年である。

きっと子熊たち可愛かったんだろうなあ。しかし八雲町民である友人たちは熊の話をあまり聞いてくれないのだ。八雲町には上流に原生林を抱くユーラップ川が流れていて、秋になれば繁殖のために川を昇り息絶える鮭を求めてエゾヒグマが姿を現す。川の周辺だけではない。至る所に熊注意の立て看板が立てられているのは熊被害の恐ろしさを物語っている。

資料館に居続けること一時間余り、わたしを特に惹きつけたのは義親がスイスから持ち帰ったという、いわば八雲の木彫り熊の最初のモチーフとなった熊たちだった。わたしは熊たちを一匹一匹、とにかく力を込めて見た(写真ダメだって言われたからね)。そこで見たスイスの熊アートは現在の木彫り熊より若干スマートに視えた。何より違うのはそれら木彫りの熊たちがペンの先っぽにアクセサリーとして付いていたり、万年筆のインクを吸い取るローラーの持ち手になっていたりとなにかしら実用性を兼ねた熊なのだ。

欲しい。

……まあ、そうなるわな。

注目すべきは八雲町の男たちの初期の作品はスイスのお土産品のレプリカとも呼べるほど、大きさも持ち味もスイスのそれに酷似していることである。肩の感じ、手足の丸み、顔の表情。八雲の男たちはスイスの木彫り熊に忠実に手習いしたようだ。細かい細工には堅い目の詰まった良質の材木が必要である。簡単なようで粘り強い、あきらめない覚悟が無ければここまでの手習いは到底出来ない。わたしは胸に熱いものが込み上げるようだった。なにしろ小さい熊だ。目はこう。口はこう。わたしは一時期フェルトでテディベアを作っていた時期があるが、顔の縫い目ひとつ方向を違えただけでも出来上がりの熊の性格は変わりかねない。人形制作には終わりはない。

日に焼けた頬と腕の屈強な村の若い男衆がこぞって、手の中に入るかわいらしい熊を懸命に彫る。

しかも始まりはスイス。ハイジの国だ。オンジやペーターも確か木を彫っていたではないか。酪農家伊藤は搾りたての牛の乳でチーズを作ったかもしれない。ストーブでとろっと溶かしてラクレットみたく食べたかもしんない。

パチパチパチ。薪ストーブで炎がはじける音がする。

おお、俺の熊、なかなかいいっしょ。

うん、いんでねえの。

その昔雪に埋もれた僻地の村はアーティストだらけであった。二頭の赤ちゃん熊たちははたしてその年冬眠をしただろうか。ストーブの周りをじゃれて遊んだのではなかったか。男たちの笑顔が見えるようである。