旅行へ行きました

昨日から一泊二日で彦根に来ています。模様替えを完了した主人が唐突に旅行へ行こうと言い始めました。

日曜日の昼ごはんにズッキーニのペペロンチーノを食べていると食べ終わったら出るよ、と。

え、何処に?

彦根だよ。

え、なんで彦根?

何と無く。

わたしは後片付けを長女にお願いしてざくざくと着替え等の旅支度をして、水とクッキーを持って車に乗り込みます。熊は木に登る。彼は旅に出る。まあ止められないんですよ、これまた。

このたびの肺炎と胸膜炎で彼はまた転職しました。転職〜転職〜転職の連続〜。わたしはピタゴラスイッチの唄の替え歌を歌います。結婚して30年。彼の職歴はしんじつきらびやかなもので。転職を記念してはこの様な突然の旅をするのが彼の習性なので。

この前の倉庫は確か「ガンジス川のほとり」だと。うん。彼は頷きます。そして今回の職場は「シベリア流刑」なんだね。うん。彼は頷きます。インドの人やロシアの人が聞いたら怒らない?うん。彼は頷きます。

長女は父親の転職に渋い顔をします。パパもう少し辛抱したら?主人はそう言われるのが耐えられず旅に出るというわけなのだ。しかも今夜は三女夫婦が来ることになっているにも関わらず逃げる様にして。

主人がじゃらんで予約した激安ホテルのフロント係りは片言の日本語でワタシカードデキナイとニコニコ。どうすんだ。現金無いよ。わたしは先程からカウンターの手描きのパスワードを入力してみるのだかwi-fiは一向に繋がらない。ここは日本なのか?

とりあえず部屋にリュックサックを置いて駅周辺を歩いた。ねぇなんで彦根なの?きみが徳川家康が好きだっていうからさ。じゃあ岡崎でしょう。岡崎城は月曜休みだったから。彦根城は月曜もやってるんだよ。彼は嬉しそうに言った。

居酒屋で瓶ビールとモツ煮込みを突つきながらわたしは彦根城をネットでリサーチした。関ヶ原の戦い後、西の勢力を恐れた家康は徳川四天王のひとり井伊直政石田三成の居城佐和山城の占拠を命じるも関ヶ原の戦傷癒えず直政は亡くなった。直政の死後家督を継いだ直継もまた幼少であったため直政遺臣の木俣守勝が彦根城を築城した。

幕末井伊直弼大老だ。今で言えば最高裁の裁判官レベル。井伊直弼の読み方すら知らなかった。これでナオスケと読むらしい。1860年桜田門外の変。何かこれ日本史でやったかも。井伊直弼の生涯はNHK大河ドラマの第一作目。ふむふむ。テレビドラマ全盛時代の幕開けはここ彦根から始まったのだね。

なんか食欲が湧いてきたので穴子の天ぷらを注文してみる。天守閣への階段はかなり急でキツいというブログを読みあげるとふうん、じゃ登るのやめよか、彼が言う。

彦根城世界遺産に登録されるかもしれないリストにあるらしい。あくまでもかもしれないリストだがまあそれなりの城の様である。

わたしは何と無く彼のビールを取り上げた。これでおしまいね、飲み過ぎると明日天守閣に登れないからさ。あたしは行くよ。てっぺんから琵琶湖が見えるらしいよ。長浜城も梯子する?ビールを取り上げられたにも関わらず彼はなんだか嬉しそうだ。

わたしは召し上げたビールをゴクリと飲み込んでひたすら考える。長浜城は秀吉の城だ。それにしても家康はどうして秀吉に仕えたのか。どんどん粗暴になってゆく秀吉に何故関わり続けたのか。わたしが家康なら嫌だった。その上どうして関ヶ原の戦いなんてやっちゃったんだろ。人質に継ぐ人質の幼少期を経て人格が崩壊していたか。

そんなことをぽつりと言うと彼は笑った。いやそこ笑うとこじゃ無いでしょう。わたしはお姉さんを呼びお茶漬けを注文した。ここは戦国武将に敬意を払いお茶漬けだ。運ばれて来たお茶漬けは焙じ茶仕立ての関西風。どうやら我々はかなり西に来ている。ほんとのこと言うとお茶漬けが苦手なわたしは茶漬けを主人に差し出し自分用に麻辣飯を注文したのだった。

ホテルに戻るとフロント係りが背の低い黒縁眼鏡の男性に代わっていて手際良くカード決済をしてくれ、しかも手描きのパスワードに紛らわしいスペースらしきものが見えるがそこは詰めて入力だと教えてくれ無事wi-fiも繋がった。

煙草の匂いが超苦手な主人が身悶えしつつ寝てしまうとわたしは大滝詠一YouTubeで聴きながらブログをチェック。

今日もなかなかエキサイティングで良い1日であった。

継ぐべき家督も合戦も無く、ただただ平和な転職癖の夫君の寝顔を見ながらこれを書いておるわけです。

今夜のBGMは大滝詠一「それはぼくぢゃないよ」でござる。

おやすみなさい〜