連載小説 小熊リーグ⑰

夢を見た。

僕と父は母の納骨を済ませ、墓地の駐車場で車に乗り込んだ。車を出そうとして後部座席に見知らぬ女性が座っていることに気付く。彼女が僕の名前を呼んだ。僕は快活に返事を返し会話が弾む。父も嬉しそうに会話に加わった。それが今さっきお別れした母であることを母の口から聞かされた僕はずっと会いたかったんだ、会えて嬉しい、とはしゃぐ。母は肩まである長い髪をしていた。小花柄の夏のワンピースを来ていた。僕が突然泣きはじめると馬鹿ね、泣いたりしてと母は僕をたしなめた。

僕は実家の僕の部屋ではなく客間に敷いた布団に寝かされていた。南側の縁側の障子を通して朝の光が差し込んでいる。鳥のさえずりが聴こえた。

起き上がろうとしたが頭も体も重い。それでももうどうしてもトイレに行きたいのでなんとか立ち上がりふらつきながら縁側へ出た。トイレを済ませて庭を見ると大きく育った五葉松と木斛の木のあいだに夢の女性が立っていた。幻視だった。僕は布団に戻った。

ウィル‥‥ウィル。僕は目を閉じてウィルに呼びかける。ウィルはすぐにやって来た。最近のウィルは出来損ないの形の悪いツリーハウスで寝起きしている。ウィルは川へ行くと言う。ウィルの傍に白い犬が居た。

ウィル。

僕は驚いた。ドキドキした。

ウィルドッグは全身の白い毛を短く刈り込んでいて、よく見るとホッキョクグマの小熊のようだ。僕は嬉しくなった。

「久しぶりだね」ウィルドッグに声を掛けると彼女は何言ってるの、ずっと一緒だったじゃない、と笑った。そう言われてみればそんな気もする。

ウィルベアはツリーハウスの窓際にあるレコードプレーヤーのスイッチを入れてレコード盤を静かに乗せ針を落とした。ズーイー・デシャネルの「クマのプーさん」の歌だった。僕はこの曲もズーイー・デシャネルもそんなに好きではなかったが目を閉じて音や声に耳を澄ませた。

毛を刈ったりして悪かった。僕はウィルドッグに謝った。全くよ、と彼女が言い、動物虐待だ、とウィルベアも頷く。あたし水色のリボンを付けてたわ、彼女が言う。そうだったねと僕。懐かしい。可愛かった。すごく可愛いくてなんだかそれがだんだん怖くなって僕はウィルの長い綺麗な白い毛を短く刈ってしまったのだ。

「具合はどう?」突然障子が開いて女性が顔を出したので僕は驚いた。赤星さんだった。

「朝ごはん食べられそう?こっちに来て一緒に食べない?貴方の好きなベーコンエッグあるわよ。それから林檎も」

「林檎食べたいな。行くよ、そっちへ」僕は答えて布団からよいしょと起き上がった。赤星さんは僕の背中をすごく自然に支えるようにして寄り添った。歳は僕とあまり変わらないがベテランの看護師だ。そして彼女はごく最近父の新しい妻になった。

僕はよろけながら障子から縁側へ出る。僕は庭を見た。五葉松の脇の母はいつまでも僕を見ていた。

あれは僕の罪悪感が作り出した幻視。僕は動揺しない。僕は母の顔の声も知らない。目の前の母は夢で見た出来合いの女性だった。