連載小説 小熊リーグ㉓

次第に視界が歪んでゆく。ガザッガザッという不快な音が止まなかった。父がゆらゆらと揺れる僕の身体を支えていた。幻覚の母は壁際に立っていた。美しい栗毛色の髪をしていた。

「君が羨ましいよ」そう言ったのは白川医師だった。「君には彼女が見えるんだからね。君には尋ねたいことがあるはずだ。ノートに書いていたことを直接尋ねるといい」

尋ねたいこと。僕は動悸がして強く拳を握りしめた。戸板だ。戸板が開いたのだ。その時一陣の磯の香りが鋭く吹き込んできて僕は大きく息をのんだ。そこには僕を置いて行ってしまう、小さく弱々しい母の背中とその母を戸板の向こうで待ち構える男が見えた。それは光盛医師だった。

「‥‥光盛さんあなたが、あなたが僕の本当の父親なんですね」母が立つ白い壁に向かって僕は尋ねた。母は無表情のまま僕を見ている。僕は田舎町の乳児院で育った。母親も父親も既にこの世にはいないのだと幼い時代に僕は幾度も諭された。幼児の僕を乳児院から引き取り養子にし育て上げたのが今の父であった。その父ががくがくと震えの止まらない僕の肩を強く支えている。

そして丁度一年前のことだ。とうの昔に死んだはずの、もはやこの世に居ないはずの母が入院先の精神病院で自殺したと僕は突然聞かされた。そしてその葬儀の列で僕は確かに光盛医師の姿を見た。

「‥‥光盛さん、あなたは母を捨てましたね。そして母と共にこの僕を捨てた。どうして‥‥どうして‥‥」

「違うよ。光盛は‥‥彼は君の父親ではない」父が言った。