https://www.youtube.com/watch?v=jHmpt5et9bk
林檎の記憶。
(親愛なるid:nadeshiko1110さんのコメントを読んで書こうと思いました)
紅玉という林檎がある。母がベニダマと呼んでいたのでわたしも今もベニダマと呼ぶ。酸味が強くて水分が少ない。アップルパイには紅玉で、と料理本によくあるあれだ。
紅玉は無闇に紅い。少し小振り。最近は売って無いなと思っていたら少し遠くのよく行く市場にあったので買ってきたが家族にはすこぶる受けが悪い。
ママこれはお菓子用だと長女がいう。
わたしはそれでも紅玉をガジガジと毎朝食べた。思い出したかったのかもしれない。母が林檎の皮を向く姿や、それをわたしに一切れ差し出してくれた瞬間の記憶を。
わたしの母は芸術家肌の人であった。貧乏な家の一角には油絵の具の一式があった。ベンジンの匂い。新品のキャンバスを買えず塗りつぶしては描いていた母の後ろ姿。ブリリアントグリーンの絵の具の色。カチカチになったパレットの色たち。
幼いわたしの脳内で紅玉の紅は油絵の具の紅と重なった。
不思議なことだが母の描いた絵を一枚も思い出せない。肖像画か風景画か。静物画か。それすらもわからない。
ある日家族で近所の渓谷へ出掛けたことがあった。岩場に腰掛け、母は小さなノートに絵を描いていた。
その日わたしは喉が乾き飲み物を荷物に探るとトマトジュースがあった。母は生のトマトを絞り、それをロートで瓶に詰めて野外に持っていく習慣があった。それが我々子どもの飲み物であり、母は独り熱いブラック珈琲を水筒に持ってきていた。
トマトジュースは子どものわたしには不味かった。ただただ青臭いトマトの味。わたしはそんな不平不満をぶちまける。母はわたしに川の水を飲めと言った。わたしは川の水を飲んだ。美味しかったとかそんなことを思い出せない。
何よりわたしはその渓谷が苦手だったのだ。岩場に腰掛けぼんやりと山を見る。母を見る。そんな午後が苦手だった。
荷物には紅玉がゴロゴロ。
わたしは紅玉を丸齧りする。
轟々という滝の音と紅玉の酸っぱさとわたし用に与えられた小さなノートに何か絵を描かねばならぬという圧力。
わたしは今日なんやかんや、そうだ、なんやかんやと考え過ぎた。そしてそれは良いことだ。
わたしは悲しいことも多くあったが、それを上回るなんと贅沢な子ども時代を過ごしたことか。
母が亡くなって二年半になる。
寛容でありたい。優しくありたい。
nadeshikoさん、この場を借りてお礼を言います。 http://r-og-love0209.hatenablog.com/entry/2015/11/25/150042