オリヴァー・サックス「レナードの朝」(1973)

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引越しが近い。部屋が箱だらけだ。組み立てられた大小の段ボール箱。封がされてマーカーで何やら殴り書きされ積み上げられた箱たちに圧迫されている。

数日前「DVD他」と書かれた箱のクラフトテープをベリっと剥がして中を探索。ロバート・ダウニーJr.の「シャーロック・ホームズの冒険」を取り出して観た。DVDはまた箱に戻しておいたのだが仕事から帰った夫君にそれがばれた。彼はわたしをちょっと睨む。

「2時間」本棚を指差してわたしは微笑む。わたしの本は2時間あれば梱包出来るよ。どうやら夫君はわたしの私物梱包作業が全く進んでいないことに苛ついているようだ。

昨日はAmazonで買った徳川林政史研究所の本2冊と樹種事典が届いた。引越し荷物を増やすなよと彼は嘆く。樹種事典は初版発行中にも関わらずコレクターズアイテムになりつつある良書であった。どんどん値が上がるので速攻ワンクリックだった。

引越し先の公営住宅はとてつもなく古い時代の建造物で狭く長細い台所とリビングが分厚い壁で仕切られていた。明るい南向きの台所のどん詰まりに小さなテーブルを置いてそこでお茶を飲もうよ。PCで間取り図を作りあれこれミーティングする。

これは噂だがどうやら風呂無し、湯沸かし器無しらしい。既にTV無し、レンジ無しは確定している。風呂はローンを組んで取り付けるとな。‥‥辞めよ辞めよ、風呂も湯沸かし器も無し無し。そこでは意見は一致、我々は近隣の銭湯をリサーチした。

今日は図書館で借りた本を読んで過ごす。昨日も一昨日も本を読んでいる。

わたしが子ども時代に日記帳なるものを父が買ってくれたのだがその日記帳は分厚い豪華なやつで巻末にアドレス帳や花言葉などが載っていた。

毎月の終わりには詩が載っていた。ヘルマン・ヘッセロバート・バーンズ。父はなんだって子どものわたしにあのような豪華な日記帳を買い与えたのか。

わたしは当時日記書きが苦痛だった。数年前までわたしはその頃の古い日記帳を大切に持っていた。

ある日のわたしの日記には「ヒマダさんへ」という謎の文書があった。ヒマダさん。漢字で書くとおそらく「暇田さん」であろう。

わたしの中の人格のひとりをわたしは諧謔的に「暇な人」呼ばわりをしていたようでヒマダさん宛の文書は皆シュールで出来栄えが良かった。

レナードの朝」という映画を教えてくれたのは最初にわたしの多重人格を発見した近所の内科医である。

彼に勧められてあの頃「レナードの朝」を何度も観た。患者役のロバート・デニーロ。主役の精神科医ロビン・ウイリアムズ。実はわたしはロビン・ウイリアムズの同僚医師のジョン・ハードが大好きだった。「ホームアローン」のお父さん役をやった人だ。顔がいい。優しい、温かい。ちょっと頼りない。

その内科医はジョン・ハードとドランクドラゴンの塚地を足して2で割ったような感じでかっこ良くて鈍臭い。当時彼は往診中に人身事故を起こしてしまい凹んでいた。

「あたし先生の示談交渉見てみたいな。‥‥きっと素敵なんだろうな」

診察終わり、わたしが振り返りそう言うと内科医ははにかんだ笑顔を返してくれた。

‥‥懐かしい。

もし君が今日元気ならば銀行と市役所へ行って‥‥。夫君は引越しで忙しい。わたしは黙って首を横に振る。こんなに頭の調子悪いのに引越しなんて無理だよ。

『地獄を目がけて突進しなさい。地獄は克服出来るのです』(ヘッセ1933年断章11)

ヘルマン・ヘッセの人生もわたしと同じ。こっち側かあっち側かと言われたらあっち側だったようである。

ヘルマン・ヘッセは一時期スイスで暮らしていたことがあるらしい。ドイツの黒い森シュヴァルツヴァルトはスイス国境辺りにあるが徳川義親は新婚旅行でその辺りへも行ったかな。

いやいやわたしはドイツまで行かなくてもいいかも。今日はずっと中央本線南木曽駅を思い浮かべている。

ツリーハウスの本、なんだかわからないけど色覚障害についての本沢山。ヘルマン・ヘッセ種田山頭火、正田陽一、田口護。そして徳川義親。

ここら辺のおじいちゃん達が皆でアベンジャーズみたく戦うってのはどう?SFだな。うん。強そう〜。イェーイ。

パトリックは心配顔だ。現実逃避が過ぎるぞと言いたげだ。

ねえ、この曲いいね。長女にYouTubeを聴かせるとそれは何年も前に爆発的にヒットを飛ばしたミスチルの曲だった。今頃⁈と長女の驚く顔。まるで『壁ドン?ベルリンの?』(銀シャリ)的な。

ミスチルブーム来てるんだねママ。

長女の優しさが染みた。