遊撃手

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「独創的な芸術家なり作品というものは必ず、時代の枠を越え、時間の限定を飛び越してしまう翼を持っているものである」(大石勇『伝統工芸の創生』p67)

 

江戸の本を読みながら北海道の開拓時代の記述を蘇らせてしまうのは何故なのか。アート理論を論ずるつもりはないのだ。

 

大正4年、若き義親の書き上げた江戸の林政の論文は酷評だったと何処かで読んだ。あれから日本は長い戦争や大地震、経済不況を経たが日本の山々は今なおそこにある。

 

わたしは数年前まで自分の感動に禁欲的であった。心の何処かでブレーキをかけていた。欲しいと思う何かがあるならそれを絶対に欲しがらないという原則を頑なに護る。それはわたしの習性だった。

 

いや要らない、なんであんなものが欲しかったのかとさめざめとした気持ちが沸き起こる。押し込めても押し込めても消えないもの。そういうものならば失われてゆく心配も無い。失われてゆくものたちに囲まれていた。失われないものを嗅ぎ分けていた。

 

森の本を読みながらこんなことを考えるなんてと失笑するのだが二十歳の時に初めてひとりでとある森のヒュッテで泊まった夜には寒さと恐ろしさでもう森は懲り懲りだと感じたのだ。

 

こんな暗闇とは思わなかった。こんな静けさは勘弁だと翌朝逃げるように山を降りたことを覚えている。

 

山を観る。遠くの空に尾根を追う。あの時の漆黒の暗闇と底知れぬ静けさを忘れない。ドキドキが止まらない。これが感動というものならばわたしは幸福だ。何十年この幸福を持続させていることか。

 

この幸せが逃げぬようにと慎重に恐る恐る本を読む。樹木の断面の写真をひたすら見る。人の顔を覚えるように1種類1種類、樹木の年輪の違いを目で辿る。こんなことが幸せなんて安上がりな人生だな。

 

子どものころ、わたしは野球選手になりたかった。おそらく娯楽に欠けていたのかもしれない。コミニュティの夕暮れ、大人たちのキャッチボールが始まる。グラブの革の匂いと笑い声。駆け回る子どものわたし。

 

わたしは必ず木登りをして、木の上からキャッチボールを眺めたものだ。しなる枝がわたしの身体を抱くようにして支えていた。放物線を描く汚れた小さな白いボールを追い続けていた。

 

いつかコミニュティの親戚の男の子が高校生となり遊撃手となり甲子園に行くという一大イベントが起きた。幼馴染みの仲良しの、とってもとっても大好きな、わたしには兄ちゃんのような存在。笑顔の兄ちゃんだ。憧れの兄ちゃんだ。兄ちゃん兄ちゃんと書き過ぎだな。

 

しかしわたしは大事な試合を見には行かなかった。兄ちゃんの投げたボールがその時のわたしには見えない。わたしの心のブラックホールが深過ぎてわたしはそこからぜんぜん出られない。

 

http://youtu.be/Hr2gvLePiJk

 

土砂降りのミスチルを聴く。

 

ミスチルブームの訳がわかったんだよ。簡単なことだった。顔が似ているのだ。ミスチル桜井和寿は遊撃手の兄ちゃんだった。笑った顔や泣きそうな顔が兄ちゃんによく似ているのだ。

 

彼は街を出て行った。野球は出来ても仕事は出来なかったな。甲子園って怖いところだよと親戚が噂する。借金、賭博、風俗。

 

兄ちゃん、わたしは性懲りも無く木登りを続けているよ。兄ちゃんももう1度だけ試合をしませんか。わたしの投げるボールを受け取ることはもう出来ないですか?まあ答えはわかってるよ。

 

今週診察だ。あともう少しだ。頑張ろうっと。