多重人格NOTE その16 危機管理②希死念慮

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サザンオールスターズの「真夏の果実」という曲がある。四六時中も好きと言ってほしい、夢の中へ連れて行ってほしいという熱い思いを歌っている。最近これを時々聴く。

希死念慮とは死にたいという考え、またその心の状態を指す。わたしは幼い頃から死ぬのは嫌だといつも思って過ごして来た。それはたぶん他の人よりも人の死に多く接して来たという理由もあるかもしれない。

子ども時代貧しい部落のボロ長屋に住んでいたことがある。隣のおじさんは片腕が無かった。三軒隣の家のわたしと同い年の女の子は脳性麻痺で身体に力が入らないので自分では外出することが出来ず、夕暮れ時になるとその家のお婆さんはいつも彼女を背負って家の前に立っていた。

そういう景色を当たり前だと考えて大人になった。わたしは生きていることを儲けものだとごく自然に感じ取ったのかもしれない。

親戚やコミュニティに自殺者があるたびにわたしは考えた。何故彼は自分から死んだのだろう。わたしは死んだらどこへ行くのだろうと考える。彼にもう会えないということが悲しかったのだ。父や学校の教員に尋ねても答えは得られないので図書室でそういう本を懸命に探したこともある。

DIDであるわたしは脳内にひとり、とても強い虚無感を抱く人格が居る。彼女は虚ろな眼をしてわたしに呟く。

ねえ、もう辞めよ。何もかも辞めて楽になろう。

辞めるって?良心ロボットであるフライデーが彼女に尋ねる。

虚無は(ここでは彼女をこう呼ぶことにします)そんな言葉を呟くだけで実際に自殺行為には至らない。何故なら自殺行為そのものが大変なエネルギーを必要とするからだ。虚無にはその力すら無い。無いからこそ虚無である。

フライデーはロボットであるがその融通の効かない良心機能で保身や自己欺瞞や歪んだ物事の正当化を許さないが虚無にはその類いの打算は微塵も無いのだ。

わたしが19歳の時、わたしは生まれて初めての一人旅をした。行先は尊敬する作家の自殺場所を訪ねるというものだった。泊まった先の旅館のご主人がわたしに言った。

あんたまさかやる気じゃ無いだろうね。

もちろんそんなつもりは無かった。それでもわたしの人格全体がその当時、この先より良く生きてゆくことのひとつの方法としていつか自殺をする、いや、わたしはいつでも自分の人生を自分の選択で自分の手で終わらせることが出来るという妙案を見出して半ば小躍りせんばかりでその旅に出たとも言える。

作家の自殺場所を訪ねたのは下見を兼ねてのことだったのだがそんな客を多く見ていただろう宿の主人にはわたしの思考回路が丸見え図星、また変なのが来たと言わんばかりだったようだ。

フライデーは強いロボットだ。そしてフライデーは子どもである。今は成長して思春期となった。ロボットでも成長するのか。フライデーは照れくさそうに笑っている。

フライデーの好きなものにハグがある。いつかYouTubeザ・ブーム宮沢和史さんがフリーハグズをしている動画を見たことがある。

初めわたしはフリーハグの意味がわからなかったが見ているうちに涙が溢れてきた。家族の自然の情愛を知らずに育ったわたしは食卓で、リビングで、台所で、寂しさをいつも抱いており、わたしは常に誰かしらからの微笑みを求めていた。コミュニティを行き交う親族や知人を見つめる当時のわたしの眼差しがフリーハグのプラカードを掲げ、無視され続ける宮沢和史さんに似ていたのだ。

街角のフリーハグは受け身で無防備で悲しいわたしの子ども時代と重なった。

真夏の果実」は良い。熱烈な愛情を率直な言葉で、美しいメロディで表現している。

わたしもまた真夏の果実のようだったのだ。死に場所の確認も兼ねての一人旅へ出たわたしはエネルギーと意欲に満ちていた。それは正真正銘の独立の歩みだ。人生には涙が溢れることなんてありふれている。人は誰だってみんな寂しいに違いない。だからわたしは決して不幸ではない。わたしはわたしの人生をこうしてコントロール出来るのだと。

当時のわたしは何時代だとしても既に死んでしまった作家が特別に好きだった。それが自殺者であれば尚のこと美化した。

死ぬ時は痛い。死ぬ時は苦しい。死ぬ時は1番孤独。

わたしはそれまでの人生経験からそんな事実をよく知っていたからだ。だから自殺者をひときわ勇気ある人物だと勘違いしたのだろう。

しかし今わたしは虚無に言う。ねえ、辞めるのを辞めようよ。そうさ、追い先短い命だよ。フライデーも微笑んで頷く。

いたたまれずにパトリックが虚無をハグした。

気持ちを込めて長く強いハグをした。