講談社 山岡荘八「徳川家康(一)」

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昨日コーンブレッドを焼き、昼時にやって来た友人に食べさせたらこれは旨いとパクパク。ニトスキの焼き野菜とソーセージ、目玉焼きに添えてランチとした。バターや卵を入れたリッチパン。また作りたいな。レシピはリコさんのパンのページから頂戴した。

昨日に引き続き今日もパン焼き。ライ麦テーブルロールを12個焼いた。小麦粉とライ麦は4対1、wetは水、蜂蜜と黒砂糖と塩、オリーブオイル、ドライイースト。ベタつくので手では捏ねられない。スケッパーで掬っては起こすを繰り返す。10回やっては放置。洗い物。また生地をペタペタとやっては放置して部屋を掃除したりした。

放置している時間に目には見えないがグルテンユニットの連結が生地の内部で、ミクロの世界で進行するのだ。誰にも止められないグルテンユニットだ。今日は朝から室温が高い。10時には充分に発酵した生地をガス抜き成形して再度放置。再び放置でユニット〜。いそいそとダッチオーブンを温めた。

ミスチル「ラララ」の替え歌をウクレレで弾き語りしてみた。なかなか良い。この曲のラララの部分は当初はホニャラだったとライナーノーツにあった。本当かな。あの類いの文章はとにかくカッコ良く書いてある。まあホニャラホニャラいう桜井をカッコ良いとは思わない。

ベスト盤二枚のライナーノーツを熟読してアルバム「ディスカバリー」を聴いてみたいとふと思いTSUTAYAで借りても良かったけれど「ディスカバリー」にもライナーノーツが付いているならそれを読みたいと思いアマゾンでワンクリックした。

そして恐る恐る講談社 山岡荘八徳川家康」をアマゾンで調べる。

先週図書館で借りて第一巻は手元にあるがなかなか読む勇気がない。別刷りの付録で「タイムトラベルの楽しみ」として岡崎を訪ねる紀行文を宮脇俊三が書いていてそれは直ぐに読んだ。宮脇は東京岡崎の電車のアクセスはひかりで名古屋駅かもしくはこだまで豊橋で下車だがどうも上手い行き方とは思えないと書いている。結局高速バスに乗って移動。図らずも東海道を行く旅となったとあった。

山岡荘八徳川家康」はおそらく必読書なのだろう。彼の著作により家康は歴史上の英雄でありながらより身近な存在として受け入れられたのだと何処かで読んだことがある。徳川家康の生い立ちは興味深い。母親と2歳で別離、戦乱の世で人質として出された時は僅か5歳であるがこの時には誘拐まがいの扱いを受けている。その2年後7歳で父親と死別、別の土地へと再び人質に出されている。

移動は籠だったか。側近も家来もいたことだろう。そして幼い家康の命は政治的な駆け引きにより損なわれず保たれた。

山岡荘八は第一巻のあとがきで「応仁の乱以来の戦乱に終止符をうたしめた」と家康への関心を説明している。山岡荘八は戦時中従軍作家として特攻隊などの美談を書いた。敗戦して直ぐに「徳川家康」研究に手をつけている。

家康のことを「踏まれて伸びる麦」だと礼賛し厳しい幼少期があればこそだと、そんな生い立ちが家康の力となったなどと教訓的に書く児童書を読んだことがある。それを読んだ瞬間だった。わたしは家康にみるみる関心が湧いた。

何言ってんだ、と思った。血生臭い景色をこれでもかと味わったドキドキはらはらジェットコースター人生を「踏まれて伸びる麦」などと嘘くさいわ、と腹が立ったのだ。家康とか呼ばれ尊敬されるのはおっさんになってからだからさ、子ども時代はまだ英雄でもなんでもないさ。泣くことも逃げることも許されずいつ死ぬのかどんな風に死ぬのかと夜な夜な空想し続けたであろう孤独なひとりの男の子だったのだから。

山岡荘八もきっとそう考えたのではないかと思ったのだ。特攻隊を書きながら考えたのではないか。殺人兵器として死ぬべき命などある訳がないと考えたのだろう。だから家康研究など始めた。ねえ違う?誰かそこんとこ教えてくださいよ。

この講談社の家康研究は果てしなく長い資料である。手をつければえらいことになる。でも読みたい。だけど読めない。面白かったらどうしよう。あたし読むのすっごく遅いからね。どうなんだろう。死ぬまでに読み切れるか。

わたしは閃いた。あった。やはりこの有名な著作は漫画化されている。しかも文庫サイズに復刻されているではないか。全八巻だったがとりあえず三巻までワンクリックしておいた。

原作は山岡荘八だからさ。まあのだめみたいなものさ。早く来ないかな。楽しみだな。

岡崎行こうかな。

いつ行こうかな。