小熊リーグ㊶

終着駅で降りて単線に乗り換える。里山に陽が落ちてゆく。電車が日に数本しかない寂れた私鉄のホームを数人の男子学生がとぼとぼ歩いていく。僕らはタクシーに乗り彼女の病院へと向かった。

病院は古い街道沿いに建っている。錆びたフェンスを伝って連絡通路を通り抜け病棟へと通じる扉を開けたところで若い夜勤明けの職員が僕たちに会釈した。

「小川先生ですよね」男性が僕に声を掛けた。

僕は思い出した。彼は彼女が救急搬送された時の当直のドクターだった。僕はもう一度、今度は親しみを込めた挨拶をした。僕が新海氏を紹介すると彼が新海氏の右手の白杖をちらりと見た。新海氏は白杖を微かに揺らした。視力を失ってからの新海氏は、時々目の前の人間の一挙手一投足にそれがまるで見えているかのように反応することがあった。

「お見舞いですか。先生のこと少し気になっていました。あの女、おとなしくなりましたか」

「威勢のいい女刑事の人?」

「刑事じゃない、彼女はフリーのライターです」

そんなことは知らなかった、彼女に詰め寄られたのはあの時限りであったと僕が言うと、彼はそれは安心したと言い、連絡通路を手を振って走り去って行った。

「昔の同僚?」新海氏が尋ねた。「いや、なんか知らないけど僕が精神科医だったことを知ってるんだよ」

「ライターって?」僕は答えなかった。火を点けるやつではなく。新海氏は小声で言いつづけていたがまもなく彼女の部屋に着いた。彼女は新海氏がお見舞いに来てくれたことをとても喜んだ。本来ならば親族以外の面会は禁止されていたが新海氏が僕のケースワーカーだということで面会は特別に許可された。

「靴が履けないの」彼女は4人部屋の西の端のベッドで寝泊まりしていた。そのベッドの下から水色のスニーカーを取り出した。スニーカーは靴紐が取り除かれている。自殺企図での入院であった。うっかりしていた。ベルト類はおろかパジャマのウエストゴムまでもが持ち込み禁止という入院規則を忘れていた。

僕は新品の22.5㎝白いスリッポンを紙袋から取り出した。新海氏は白杖でそこら中叩きまくっていたがそれが収まるとベッド脇のスツールに腰掛け、サングラスを外した。

「新海さん、目はどう?まだ何にも見えないの?」彼女が尋ねる。

「見えるさ。暗幕が見える。落ち着くよ。集中力が高まるよ」

「わたしの顔を覚えてる?」

「覚えてるよ。確かリラックマに似てる」

彼女が新海氏の額を手のひらで器用にペタリと叩いた。僕たちは笑った。