maria's eyes/Keith Carradine

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https://youtu.be/TwO6YVCcSkg

昨日親族カラオケ。わたしは初めてのお店。店内をふらふら、ご自由にどうぞのタンバリン等を探すが見当たらないのでカウンターで尋ねた。少々お待ちください、お姉さんも探す。あちこちの戸棚を開きまくる。ない。ひよっとしてこの店のカラオケはバラードしか流さないのか。それとも日本にタンバリン禁止令が出たのか。

仕方なく部屋でぼんやり親族らの歌を聴いているとお姉さんがタンバリンを持ってきてくれた。わたしはタンバリンで踊れそうな曲を待ったがなかなか来なかった。仕方ない。自分でザブーム「風になりたい」を入れ歌った。

歌いながらタンバリンを叩くのは結構難しい。そして部屋がなんとも狭くて動き辛い。疲れて飲み物を何度も取り替えていた。いつの日か大空の下で楽器をドンチャンとやりたいものである。

スピッツは新曲が出たという。わたしはまだ2月に出たKANの新作を購入していない。KANの新作の一曲が桜井和寿が作詞を担当した曲があるという。こればかりは買わなければ聴くことができない。

Mr.Childrenのアルバム「深海」の中に「ゆりかごのある丘から」という曲がある。気になる曲で繰り返し聴くがYouTubeでこの曲のMr.Childrenのインディーズ時代の音源を見つけた。「深海」収録のものとは曲調が異なり歌詞にも違いを見つけた。

「ゆりかごの」を初めての聴いた時に真島昌利のソロアルバム「夏のぬけがら」を思い出した。オートバイ、白いランニングシャツ、白人の青年。そして荒廃した景色に嘆息する恋人たちだ。

インディーズの音源はテンポも歌も荒削りで一層マーシーを思い起こさせた。曲の背景云々の何かを探ろうとかは全然考えていない。調べをすすめればすすめるほどわたしにとっての「ゆりかごの」が益々意味深くなっていく。

マーシーのソロを初めて聴いた時わたしはブルーハーツではなくこっちがいいな、と確信したりしたことなどを思い出したり。

カラオケは大好きだが疲労してたいていしばらくのあいだは頭がぼーっとなっている。「ゆりかごの」を脳内で再生する。ふと思い出してナスターシャ・キンスキーの映画「マリアの恋人」を観ようかなと思いついた。YouTubeで検索。先ほど見終わった。

100%の映画は存在しないかもしれないが100%のワンシーンというものは確かにある。わたしの今日のパーフェクト映像は臨月のナスターシャ・キンスキーが出奔したジョン・サベージに会いに行く場面だった。

靴を替える仕草。人形のような、まるでこの世のものとは思えない美しい瞳を潤ませ懇願する。彼からは冷たい言葉。立ち去るナスターシャ・キンスキーに彼の若い同僚が駆け寄り林檎を差し出すのだ。

お腹空いてるだろう?ありがとう。彼女は泣きながら林檎を大口で齧る。この若い同僚もまた瞬時にして彼女の魅力にとり憑かれたのだとしてもこのやり取りがとにかく泣けた。一番泣けた。小さめの固そうな、半分まだ青い林檎に歯を立て、力を込めて齧っていた。

真島昌利のCDがどこかにあるはずだ。聴かないほうがいいかなあ。真島昌利は堂々としていてすごくかっこよかった。わたしの脳は先着1名様だと用心している。

「ピューと吹くジャガー」①を入手した。

ジャガーさん爽やかや。ジャガーさん桜井和寿に見えてきた。

それはあかんやろう〜